2011年8月30日火曜日

身体との会話95・・・袖ヶ浦市空手道大会ANJボランティア


28日の日曜日は袖ケ浦市(千葉県)の空手道大会の選手、役員、父兄の方の治療ボランティアを行った。昨年同様ボランティア治療はチャリティということで治療費は無料であるが、社会福祉に寄付金ということで1コイン(500円)で募金を募って行われた。

ANJからの治療スタッフは8名、テーブル4台、治療時間は9:00~14:00出会った。治療総人数は約50名。症状的に多かったのは、選手は腰痛、膝痛など。役員は肩こり、頚部痛など。急性期の外傷は今回は少なかった。ほとんどが日常の慢性的な症状であった。

なかには、ヘルニアの手術をした方や全身の痛みを訴える方や、スポーツ外傷で半月板除去手術、股関節置換手術したかなど多義な症状であった。選手はやはり外傷による古傷や使いすぎ症候群が多く、それでも我慢して稽古をしているようであった。やはりパフォーマンスも低下している。選手は指導者は慢性的な疲労に気づいて欲しいものだ。

今回、協力してくれた治療スタッフはAM臨床の中堅どころで治療結果もよく患者さんからの受けが良かった。また、臨床経験も豊富で患者さんの接客などもベテランらしい、味のある接客をしていた。小生も参考になった。

このような形態で治療を行うと、普段のオフィスの治療とは違って、時間や接客にも戸惑いを感じるが、全体的に普段通りの臨床ができたと思う。特に気がついた点といえば、少し治療時間にかけすぎていた先生がいた。

通常であれば15分から20分がいいところだろう。どうして時間がかかるか・・今回のテーマは「治療時間」である。治療時間は説明を省いての実際に患者さんに手を触れる時間である。世間話や問診は別である。それは先生方の個性があるから、話はしっかり聞くという先生もいれば、話より結果が先だ・・という先生もいるだろう。今回の課題は実際に患者さんに手を触れる治療時間である。

AMのようところは、検査が客観的に誰でも同じに評価できるということである。よって、短時間で検査治療ができる。検査や治療の無駄が省けて短時間で治療が行えるにはどうしたらいいのか?臨床においてこの治療時間は重要である。集客の要素でもある。

大方の先生方は、ある一定の時間割を作って、一枠の時間配分をしているはずである。どうだろう、当院は20分である。治療時間は15分くらい、その後説明などである。初診は別である。メンテンナンスでくる患者さんはこの時間で十分である。

時間配分ができたら、忙しくても暇でも同じ時間内で行うことが鉄則である。暇だとついつい余計な治療までサービス精神で行ってしまうことがある。小生も同様である。ここは反省である。逆に忙しいと丁寧さが亡くなって時間短縮してしまうことがある。これも良くない。


拳骨

2011年8月26日金曜日

身体との会話94・・・慢性期のオスグッド症4



写真は初回来日の治療後の症状が緩和した状態である。前回の写真は治療前の症状である。前回は痛みのために膝関節の屈伸運動ができない。治療後は屈伸運動がその場でできるようになる。AMでは、誰がやっても同様の症状の緩和が期待できる。特別なものでもない。

オスグッドの症状に目を奪われずに、オスグッドの発症メカニズムに目を向けることである。発祥メカニズムも最初は機械的に考えていいだろう。特に慢性的な症状は主動筋と拮抗筋との力関係(筋緊張)に大きく影響を受ける。このあたりの考えは機械的になる。

主動筋か拮抗筋の緊張状態によって、主動筋の仕事、拮抗筋の仕事が正常に働かなくなる。要するに主動筋と拮抗筋の機能障害による膝関節の屈伸機能が低下して、常に大腿四頭筋の緊張が高まっている状態になっている。

当然、膝蓋腱の緊張も高まり脛骨粗面の軟骨部が引き剥がされるような形になり軟骨が盛り上がる。これがオスグッドの発症メカニズムである。この時の四頭筋の過緊張が過剰な運動、成長による緊張で起きるということには異論がある。

単純に運動のしすぎ、成長して痛みが出るとは言いがたい。まさに機械的な考え方である。少なくても有機的な思考で臨床を行っていればこの意見に同意することはできないだろう。筋肉の緊張は神経学的な反応である。ただ単に力学的な観点からのみで筋肉の緊張をみるのではなく神経学的な観点からもみるべきである。

脳梗塞などで脳細胞の壊死が生じると、反対側の半身麻痺が生じることは素人でもわかる。脳細胞が壊死を起こさなくても、脳細胞の疲労によるものでも反対側の末梢系の神経支配の機能低下が生じる。このことから筋肉の緊張は力学的な使いすぎに限定することは無理がある。

力学的な作業をしない方でも、ディスクワークで精神的(脳の疲労)でも肩こりや腰痛は起きる。そう言う方のほうが圧倒的においいはずだ。そんなかたを治療していることが多いはずである。精神的疲労、すなわち脳疲労は反対側の末梢系の神経機能を著しく低下させる。

脳疲労で反対側の筋肉と腱は力学的な張力をバランスよく打ち消しているはずが狂いが生じる。例えば膝に10の力が加わる負担を四頭筋が4、上下の腱で3.3・・6の張力で、合わせて10の力を分散している。これでいいぶんである。

脳が疲労すると、末梢、すなわち四頭筋と腱も正常に機能しなくなり張力に対する打ち消す配分が狂ってくる。四頭筋4だったのが3になり、その分1が膝蓋靭帯に負担になり3だったのが4になってしまう。その膝蓋靭帯の張力がまして腱付着部の力が増して膝蓋軟骨が腱より弱く、軟骨部分が炎症、後に牽引による軟骨増殖して盛り上がる。

神経学的な観点からオスグッドの発症メカニズムを推測して見たが、これが推測通りに臨床で神経学的に治療を進めていくと写真の通りに治療後は、緊張がとれて膝関節の機能は改善する。当然痛みも軽減する。このような治療が誰でも同じにできるのがAMである。

拳骨

2011年8月17日水曜日

身体との会話93・・・臨書

東洋は伝統工芸が盛んである。この伝統工芸の継承は口伝えが多く、記述的に詳細に記録して伝承しているのは少ない。感覚を数値化して誰でも同じことができたり、作ったりすることが理想である。手技療法の技術も同じである。

手技的なものを数値化して、誰でも同じ数値を出せば同じ治療結果がでる。こんないいことはない。これは西洋的な人間支配の文化である。人間が最高の生物で人間より上位に存在するのが神である。しかし、この神も人間が作ったものである。

西洋の文化は、数値化された機械的な文化であり、その機械的思考は医療の分野でも浸透している。カイロプラクティックも同じである。DDパーマは毒や精神も身体健康に影響するといって、必ずしも構造異常だけを原因であるとは言っていない。

数値化することによって、誰でも同じ結果が出ることは世界共通の結果が出るということである。しかし、カイロは本来手技という言葉である。手技を数値化すること自体が無理がある。まして、右がずれている、左がずれているといったことを手で触診しながら評価することは感覚の世界である。

感覚は数値化することは出来ず、言語で表現することもできない。まして、教えることができない。しかし、感覚で感じ取ることができると、何を言っているのか、訴えているのかがわかるようになる。臨床検査で出てくる数値は白黒はっきりさせて基準的な線引きをして、グレーの世界を見逃している。

このグレーの世界を見逃すと、数値では正常だが、症状は出ている。あるいは、数値では異常だが症状は出ていない。薬は飲んだほうがいいになってしまう。現代医学の盲点、いや機会論的思考の盲点といいべきだろう。

話は飛ぶが、臨書という言葉がある。臨書とは書道の世界で手本を真似てそっくりに書き上げることである。一言でいいえばそうだが、この臨書は奥が深い。たかが真似事かと思うが、そう思う人にはたかが真似事で終わってしまう。それ以上のものは無い。

先人の書物をそっくり写し書きをして、先人の心を読むのが臨床である。例えば、書道のしんにゅう、跳ね、止めなどの筆運びに心が表れる。先人が書いているときに何を思っているのかがわかるという。心の緊張が字に現れるという。

臨書は、ただ真似るのではなく先人がどんな思いで書いているか、感じ取ることができるという。先人の心が読めると言っていい。手技の世界も真似事から入る事が多い。最初は、ただ漠然とやり方だけを真似るだろう。それでいいと思う。

習得技術が進むに連れて、真似事から自己の個性?が出てくる。個性であればいいが、自己流になってしまう。自己流になると自分で外から見ることが出ず、大海が見えなくなる。危険である。そんな時は先人の一挙手一動作を真似て、どんなおもいで行っているか考えながら行うのもよし。

お盆休みも無駄にならない気づきが得られた。

拳骨



2011年8月9日火曜日

身体との会話92・・・第6回ANJ臨床研究会


7日に行われた第6回ANJ臨床研究会で「ねこ背がスッキリ治る本」(中経の文庫)の著者原先生(いいだ整骨院院長)の講義のである。本の内容に沿ってねこ背の自己矯正のエクササイズの実技である。

このたぐいの本は山ほどあるが、その中でも5万部売れた。一般的にイメージしていた、あるいは整体や整形外科の姿勢の良し悪しを身体骨格のS字湾曲からの視点を違った角度で見ている。なるほどと思うところである。

長年の臨床から培った身体骨格の異常を、一般論から違った視点からのアプローチは臨床経験の豊かさから来る鋭い目線である。実際に受講生も行ったが思った以上に、身体骨格の機能を思うように働かせることができないことに気づいていなかった。とても面白い講義であった。

さて、本題の身体との会話は、かなりシンプルになってきた。「森を見て木を見る。木を見て森を見る」この基本的な考えを実践していくと、手技治療の無駄が多いかわかる。人間の身体は「心身一如」この関係性は一見複雑であるが、術者の思考でシンプルになる。

参加された先生方は、複数回履修されているので、飲み込みが早く臨床の現場で実践的に使えるはずだ。引き出しのアイテムはいくつあってもいい。こノテクニックもその内の一つと思って使ってもらえれば嬉しい。身体の変化が気づくようになると治療の面白さがわかってくる。

現代医学は専門分野にに特化したスペシャリストで、身体のパーツをみることに長けている。我々代替医療は「心身一如」この関係性を大切に、身体の各系の繋がり、関係性に目を向けて診立てをして行くことが大切である。一つの系にこだわってしまうとどこかでボタンの掛け違いをしてしまう。


拳骨


2011年8月5日金曜日

身体との会話91・・・「月間手技療法」AM症例報告

急性外傷の足関節捻挫と慢性的に繰り返すオスグッド症をアクティベータ・メソッドで早期に改善した症例を「月間手技療法」(たにぐち書店)8月号、9月号に連載した。

8月号は「アクティベータ・メソッドによるスポーツ外傷・障害へのアプローチ1」~アクティベータ・メソッドの正しい理解~ AMの発展経緯、日本でのAMの現状、AMI公認セミナーの導入、AMIIの一人歩きなど、AMの理解を深めてもらうための記述である。

9月号は「アクティベータ・メソッドによるスポーツ外傷・障害へのアプローチ2」~急性外傷の足関節捻挫と慢性的なオスグッド症の早期改善症例~ 身体との会話で述べているようなことを実際の症例を系統立てて報告している。

AMは手技を提供する先生方には、特別面白みのあるテクニックではない。誰でも同じようにでき、更に同じ結果が出る。当たり前のようなテクニックであるが、AMの特徴はそこにある。誰でも同じようにでき、世界共通の治療が受けられる。

拳骨

2011年8月2日火曜日

身体との会話90・・・慢性期のオスグッド症3


今回の急性外傷とオスグッドの症例は「月間手技療法」(たにぐち書店)8月号、9月号に連載される。興味のある方は一読されることを願う。特に、AMをいまいち理解できていない方は必読である。

8月号は症例報告の前に「アクティベータ・メソッドの正しい理解」である。AMとは何か? AMの発展の背景、独り歩きしたアクティベータ器、AMの普及などを述べた。読むことによりAMノ理解が深まるはずである。

9月号は、身体との会話で再三言っている「森を見て木を見る、木を見て森を見る」を臨床にはてはめて症状や、患部にとらわれることなくAMにしたがって治療を進めていくことでいい結果が出る症例として、急性外傷の捻挫と慢性的に再発を繰り返すオスグッド症の早期改善した症例報告である。

この項では症例報告の内容について詳細は記載できないが、以前同様に臨床的なヒントになることは紹介していく。

写真は、初診の時の膝屈伸運動の状況である。写真の角度までしか出来ず、痛みも強く歩行すら痛みで跛行している状態である。脛骨粗面の骨隆起もあり、特に左の隆起は右より顕著である。ポジション的にキャッチャーは不可能な状態である。

さて、治療だがいつものごとくAMに則ってベーシックを取り、その後四肢を見ていくといった基本をしっかり治療していくだけである。手技にこだわる先生方には面白みのない治療法である。手技技術を売り物にする手技療法は、ある意味技術の向上は自己満足の部分がある。

自己の技術に酔いしれて、臨床の本来の姿が隠れてしまう傾向にある。それもよし。結果が良ければ患者も満足、術者も満足それでよし。技術に拘る必要もないだろう。よって、AMはさほど面白みのない治療法である。

AMに則って治療を行っていけっば誰でも同様の結果が出る。手技技術を売り物にするには、まこもってつまらない。誰でもできてしまう。また、AMの良さがそこにある。そう、誰でもで切ることがいいことである。誰でもできることが患者にとっては大き利益である。

世界共通の治療が世界中で受けられるのである。こんないいことはない。Df.Fuhrの狙いはここにある。自己満足に陥りやすい手技療法を誰でも、簡単にできていい結果が出る。まして、世界共通の治療理念で世界中どこでも、同じ治療が受けられる。こんないいことはない。


拳骨