2012年1月24日火曜日

身体との会話108・・・ICCコーチング2

臨床的に患者さんから色々なアドバイスを求められることが多い。生活習慣の改善方、リハビリ的な運動法、予防的な運動方法など。このあたりのアドバイスは答えがある程度明確になっているものは、白黒はっきりと適切に答えることができる。・・・が、しかし全ての患者さんに適切であるか?

また、施術者はこの求めに正確に答えなければと色々な知識を習得する。ある先生は専門的に、ある先生は浅知恵の一般論まで様々である。専門性を持って知識を得ることはいいことだが偏って見ることこともある。偏った知識が果たして適切なアドバイスになるか? 

腰痛患者さんの例をあげてみる。「先生、腰痛は運動不足ですかね? 筋力が弱いんですかね? 腰痛にいい運動は? ストレッチはどうやったらいいんですか? 教えて下さい」こんなアドバイスを求められたら、さてみなさんはなんて答えますか。臨床ではよくあることで、みなさんも経験していることだろう。

さて、このアドバイスを求める患者さんから何かが読み取れる? ただ単に、患者さんの求めるアドバイスの答えを用意して適切に応じるだけでは、患者さんの腰痛改善を助けるアドバイスはできないだろう。まず患者さんが潜在的に何を求めているか知ることが必要だろう。

この患者さんが潜在的に何を求めているかが読めると、自ずと答えも変わってくる。よって、適切なアドバイスも出来る。患者さんが潜在的に何を求めているかがわからず、機械的に運動はいい、腹筋運動は腰痛予防に効果がある。何回やりなさい。何時間歩きなさい・・

多分言っている施術家の方も何の根拠もなく言っている。テレビや雑誌で言っていることをそのままオウム返しに行っている。なかにはお笑い番組の受け売りで言っている。根拠のない「一般論」だ。100歩譲って、正しいことであっても必ずしも患者さんに適切かというと必ずしもそうではない。個別性を無視しているアドバイスである。

アドバイス=助言・・助言≠答え・・あくまで助言であり答えではない。患者さんの求めている答えは白黒はっきりした、1+1=2 と言うような答えである。この答えが正しい場合(この場合は患者さんに合っている)には、この先生はいい先生、合っていない場合は頭をかしげる先生である。更に、合っていない場合の責任をその答えを出した先生に転換する。

助言者は答えを出さずに、幾つかの選択肢を提供し、選ぶのはあくまでも患者さんであり、答えを出すのも患者さんである。臨床に於いても、患者さんは「治療すれば治るのは当たり前」と思っていて、治ることを前提にして来院する。オフィスでの施術者の言動には全て施術者に責任が発生することを頭においておくべきセある。


拳骨

2012年1月11日水曜日

身体との会話107・・・ICC国際コ-チング1

身体との会話において大切なのは、患者さんが何を望んでいるかを見ぬくことである。患者さんが希望するは何か? これを見誤るとボタンの掛け違いで消化不良を起こしてしまう。後味が悪くてどうもすっきりしない。患者さんも同じである。

このことは治療に限ったことではない。スポーツ世界でも同じである。もちろん日常生活、家族関係、職場の上司と部下の関係も同じである。お互い対峙する関係でお互いのルールやイメージするものが一致しないと共に歩んでいくことに平行してサポートすることができない。

治療家が一番陥りやすいのはテクニックに患者さんを収めようとすることである。テクニックや治療家のルールに当てはめてその中で何とかしようとすると、そのテクニックやルールに当てはまるとドラマチックに改善したり、お互いに感動して「いい先生」「素直な患者」で万事ハッピーである。

かと言って、ルール無し、患者さんの言うがままの何でもありの基本がぶれてばかりでも治療家としてのアイデンティティ-がなくなってしまう。では、経営的にみるとこちらの形態もあってよしと考えることもできる。

スポーツでコーチと選手の関係はどうかみて見よう。小生の経験から見ると、現在の日本のスポーツ界は今だコーチ主体の見方が強く残っている。テクニックの修正、メンタルもコーチが主導権を握っている。コーチのルールで判断して、そのルールを選手に当てはめている。

なかには選手が求める答えを惜しげもなく、簡単に与えている。この関係は、当初は「親切な良いコーチだな」「わからないことはなんでも答えてくれる」・・選手とのコーチとのラポールの構築にはいい関係になる。逆のことを考えてみよう。

いつも答えを貰えることが当たり前になると、答えがもらえないとコーツに対して不信感や違和感を覚える。また、答えをもらってうまくいく行かないと、答えを出したコーチがに責任の所在を求める。更に、答えをもらうことによって依存度がまして、自立志向が低下する。特に勝負の世界では依存度が増してくるとは敗因の一つでもある。

患者さんと施術家にとっても同じである。治療家にとって患者さんから依存されること信頼されることが区別できない方がいる。患者さんが治療家に依存しているにもかかわらず、あたかも信頼を寄せているかのごとく勘違いをして、同情したり、同調したりすることが気づかないうちに行なっている。

そうなると、症状の改善がうまく行かなくなると、患者さんは改善しない責任を治療家に求める。これでは責任の押しけで患者さんが自立傾向で自ら目標に向かって歩むことができなくなる。府のサイクルから抜け出すことが出来ず、Drショピングやお医者さんのはしごである。経営的に見るといいことなのかもしれない。

では、この現象を経営的にみるのか・・ あるいは、患者さんの本質的な問題解決するという患者さんの目線でみるのか・・・どう思いますか? 患者さんは何を求めてくるか、選手は何を求めているか・・見ぬくことが必要である。

拳骨