2014年1月7日火曜日

「骨折とPCRT」身体との会話・・・134



新年あけましておめでとうございます。
昨年は大変お世話になりありがとうございました。
本年も昨年同様よろしくお願いします。

2014 牛 元旦


お正月はどうでしたか? 小生は今年はゆっくりとするつもりが何かと忙しく過ごさせていただきました。家族も10数年ぶりに正月も5日に揃い、それぞれの思いを語りました。また、小生の母親も年が明けて嬬い90になり、体調も優れずバタバタしていました。




足の方も順調に回復して、日常では杖なしで歩行が出来るようになりました。Drの診断は松葉杖を付きながら患側の足を30キロでついて良いとのことです。それよりかなり回復が早いです。にわかに信じがたいですが、2月は早いです。

さて、どうしてこんなに回復が早いのか?ここからが有機的な話になります。骨折は整形外科の分野で、特に手術の適応するものは骨折の癒合のた骨片のズレを戻して接ぎます。骨折の骨癒合は血流の良し悪しで決まります。

通常であれば血流の良し悪しで決まりますが、感染症などの問題が発生しなければ日に日に回復して行きます。さて、前回の金属アレルギーによる反発反応でどんな症状が起きるかというと、自然治癒力を遅らせる5つの症状が有ります。1、免疫力の低下 2、神経系及び経絡の変調 3、浮腫 4、筋肉の収縮 5、アレルゲンを排出するための反応。詳しくはこちらからhttp://kisarazu-chiro.com/index.php?go=xBUSNc

現代医学では感染症に対する抗生物質の投与はできますが、その他の症状には特に手立てがありません。有機的にみていくとこれらの5つの症状は幾つかは数値的に見ることはできるが、機能的低下の症状なので計り知れないものです。

PCRTで行った治療は金属の反発反応がその経絡をブロックしているか、感情的なエネルギーブロック(EB)がどの経絡又は脳領域、チャクラで存在するか神経反射反応でみていくことで生体内外のEBを見つけ出していきます。

それらのEBを改善することでエネルギー(気、神経、リンパ、血液など)循環を改善していくことで骨癒合を促進させる条件が整い早期改善に繋がります。整形外科の分野でも術後の早期回復を超音波や温熱療法、マッサージなどで血流を良くしていくリハビリを行っています。

目的は同じでも方法が機会的か有機的なのかここが違うところでも有る。PCRTはアレルゲンである食物や金属などに感情が絡んで脳の誤作動を起こして正常な自然治癒力を妨げてるEBを改善することで脳の誤作動のスイッチを切り替えることで経絡、チャクラ、神経系などの機能を高めて自然治癒力を促進させます。

現在は調子が良くなっているので自己治療は手抜きの状態であるが、本当は積極的に行うともっと回復が早くなる。明日は前回から3週間後の検査の日です。仮骨がどれだけ発生しているか楽しみでもあり、患部への荷重が何キロ許可されるのかたのしみです。


白くぼんやりしているところが仮骨。黒く見えるのがまだ仮骨が発生していない。外見上は殆んど腫れや発赤は無く可動域も90%

2013年12月26日木曜日

「骨折とPCRT」身体との会話・・・133

感染症



感染症で一番心配なのは骨髄に侵入することで、生命の危機が出てくることだろう。術後は毎日抗生物質の点滴を行なったり、縫合した傷跡を消毒する処置を行う。骨折の治療ではこの感染症と骨折接合部の再転移が問題になる。

再手術を勧められたが術後2週間では化骨の発生も出ていないし、内固定の金属を外してギプスで外固定では骨転移位の可能性もあるし、なんといっても骨折部位の動揺で痛みが出るのが我慢ならぬ。

手術以外の手は・・再入院して抗生物質の点滴を一日2回のやって様子見ましょうだったが、これも断った。再入院では仕事再開の準備ができなくなってしまう。そこで、一日2回の通院では・・と提案をした。提案を受け入れてくれたのでそれから毎日1週間点滴を受けに行った。

4,5日しても変化がなくいよいよ再手術を考えたが、翌日の保井DCに遠隔で診察を受けて金属の反発(一般的に言うとアレルギー)と意欲感情で反応が出ていた。幸いに金属の画像があったので転写して金属の自己治療と感情解放をした。

翌日はウソのように腫れが引き赤みが引いて象の足が大根ぐらいになった。微熱も下がり痛みも軽減した。しばらく自己治療を続けていくとやっと人間らしい足になってきた。

生命を機械的に考えるとそんな馬鹿な・・と、思うだろうが生命はエネルギーであるからエネルギー治療でも自然治癒力は高まる。骨折して転移(骨と骨が離れている)のは手術で接がなければならない。特に小生みたいな粉砕骨折と言って骨片が沢山ある骨折は観血的にして金属で骨片をつなぎ合わせる必要がある。

ここまでは機械的な治療になる。後はいかに早く化骨が形成されて骨癒合は速やかに行われるかは人間の生命力、すなわち自然治癒力である。その生命力は個人差があるが、基本的には全ての生命力は病気やケガなどの損傷を治すことが出来る仕組みになっている。

しかし、中には自然治癒力を妨げる因子がある。病気を抑制する免疫などはストレスなどで減少したり、逆に促進させる因子が増えたりする。その因子をみつけて外部から化学物質の投与でやっつけることが現代医学である。

一方、その因子を内側からやっつける働きを助けるように仕向けるのが有機的な治療法である。生命の危機にさらされ一時を争うときには、外的に対処する必要があるだろう。ケースバイケースで使い分けが出来ると良さそうだ。

今回は、術後は抗生物質の副作用が酷く、足部の皮膚が水疱ができて痒さが増して辛い思いをした。これは、現代医学的な検査では副作用とはわからないだろう。看護師さんに「これ、水虫?」と聞かれて(-_-;)・・・抗生物質の投与をやめたら水疱やかぶれが治った。

金属アレルギーは経絡と転写画像でしばらく自己治療を続けている。現在も継続している。感情は研究会などでチェックしていただき、自己治療で開放している。骨折や感染症、アレルギーは手術、薬物の投与など現代医学ののみの分野であることが一般的であるが、エネルギー治療で早期回復は化膿である。ただし、患者が信用して任せることができれば話しである。
術後2週間後の炎症が酷い腓骨患部
軽度の微熱があり血液検査でもCPRの数値が
5以上。この後、暫く続く
金属アレルギーの治療後に腫れ(浮腫)が引いた非骨患部
左の下腿下部と足背部の腫れが引いている状態







2013年11月29日金曜日

「骨折とPCRT」身体との会話・・・132


2週間の入院


余談になるが、ヘルニアで手術をする方がいますが、ヘルニアの手術と腰痛は関係ないというMDもいます。では、手術後に腰痛が改善するのは手術の効果ではないのか? 実際、手術後に腰痛が改善されます。

ある診療整形外科というMDがブログでこんな事を書いています。手術の際の全身麻酔は全身の筋肉を瞬間的に弛緩させるので痛みは軽減できる。手術は一種の儀式みたいなものだ。このことをためすいいチャンスです。

小生も日頃から軽度の腰痛と肩凝りがある。術後の麻酔から覚めて腰や肩が非常に軽くなった。ほんと軽い。こんな軽いのは初めての経験である。やはり、ますの影響は筋肉を緩める効果は大きいようだ。

さて、4時間の手術は成功し、術後の計画が提示された。2週間の入院で2週間後に抜糸をして、しばらく通院して経過を観察する。入院2日目から超音波をかけて化骨発生を促す治療と縫合した部位の消毒が入院期間続く。

ここで一番やっかいなことは手術した部位の骨転移と感染症である。特に感染症にはDrも気を使うらしい。ほぼ毎日抗生物質の点滴を行う。骨折の転移はまずないと言ってよい。それだけ固定術は強固らしい。

術後は日によって違うが夕方になると微熱が出て患部にうずくような痛みが出た。腫脹と発赤が引かず感染症の疑いが出てきたが抗生物質の点滴をすることで落ち着いているので様子見である。手術の翌日から足関節の拘縮を防ぐために底屈、背屈運動を隙を見てやっていた。

そのかいあって足関節の拘縮はない。4,5日すると車椅子での行動ができ、トイレが自力で行けるようになり、動くことで体力も回復してきた。同時に寝ているのが退屈で困った。1週間後は外出許可をもらい午後に3時間位外出してオフィスで患者さんへの休診のお詫びの手紙を発行し、診療再開の準備を進めていた。

1周間が過ぎると理学療法が始まり、PTによる物療とマッサージを行う。はっきりってマッサージや可動域改善などの技術は小生の方が・・・しかし、一生懸命やってくれるので嬉しい。そうこうしているうちに2週間が過ぎて抜糸のをして退院である。ここまで順調である。

退院して次の診察まで1週間である。その間はのんびり家で静養する予定であったが、やはり患者さんやセミナーが気になってどうしようもなく、診療再開のためにがさがさ動いていた。動きすぎたせいか再び夕方になると微熱が出るようになった。

抗生物質の飲み薬を飲んでいたが殆ど聞かない状態が続いた。痛みと腫れが酷く、発赤も顕著に出て僅かな振動でも痛みが増幅した。退院して1週間後の診察で感染症を起こしていると診断されて一瞬ドキッととした。
さて、感染症の処置はどうするのかDrの説明を聞いた。「当院でこのような感染症のときは再手術をして固定している金属を抜き取ります。固定金属の裏側に菌が増殖して骨髄に入り込むのが一番危険な状態ですので、それを防ぐために金属を除去する手術をしましょう。」

この説明を聞いて、目の前が真っ暗になった。慌てて、他の選択肢がないのか聞いた・・・続く


手術後5日後の患部

2013年11月12日火曜日

「骨折とPCRT」身体との会話・・・131

手術


休日のため担当のDrが不在で連絡していただいて至急駆けつけてくれた。地方の私立の医療のありがたみだろう。大きな総合病院ではこうは行かない。自冶体運営の総合病院であったり、大学病院では杓子定規で運営されているので痒い所に手がとどくようなわけにはいかない。

担当医が来るまでどのくらいの時間がかかったのだろうか?やけに長く感じた。受傷から4時間くらい過ぎたかもしれない。担当医がきて、画像を見ながら丁寧な説明があった。

「脛骨と腓骨が複数に折れています。複数骨折と言います。治療は、手術をして金属の板をビスで止めて折れた骨を固定します。小さい折れた骨も多いので、これをビスで止めるときに折れやすいので時間がかかると思います。結構、酷い骨折ですね。でも、当病院では比較的症例の多いケースです。」

説明を聞きながら頭の中では半年はだめだなと諦めていた。30年前のほねつぎの時代にはこれくらいの骨折も保存的(手術をしないで)に外固定で保存治療をしていたこともあった。やはり、外固定だけでは固定力が不十分で変形治癒や関節拘縮が起こり治療期間も長くかかった時代もあった。

手術日が火曜日と金曜日と決まっているようで、受傷日が月曜日だったので、翌日の最後の手術に決まった。それまで牽引処置が取られる。脛骨と腓骨の療法が折れているので下肢が筋肉の緊張で短縮していまう。そうすると痛みが増強する。

更に痛みで緊張し更に痛みの連鎖がおきてたまらない痛みが出る。牽引することで痛みが和らぐために骨折した下肢を牽引する処置である。どのようにするか?踵(踵骨)の両横をドリルで穴を開けて鐙みたいなフックを引っ掛けて10キロ位のオモリをぶら下げてベッドに寝ている。

この時のドリルで踵に穴を開ける時の痛みは悲鳴をあげるほどであった。麻酔はするが殆んど効いていない状態である。二度とやりたくないと思った。その状態で翌日の手術の順番が来るまで寝ているのだが、牽引したくらいで骨折部位の不安定は解消される小さな振動や身体の緊張で筋収縮が起きると痛みが出て、とても眠れるような状態では無かった。

翌日、いよいよ手術である。約3、40分前に筋弛緩の注射を打って筋肉の力が抜けるようにする。これは痛みによる筋肉の緊張がとれて眠くなり痛みも軽減した。なんでもっと早くしてくれなかったのか・・恨めしくも思った。

手術室に運ばれて全身麻酔である。ここまでは覚えているが・・・手術は約4時間かかった。目が覚めるのは麻酔をかけてから5,6時間くらい後である。手術は2枚のチタン合金のプレートで脛骨、と腓骨を22本のビスで固定する手術である。

麻酔から目が覚めると担当のDrが手術の経過を説明にきてくれた。手術は無事成功したということであったが何をいっているか理解できなかった。術後の画像をみて関節面がきれいなことと、骨片の位置関係が綺麗に揃っていることがはっきりと確認できたことで、説明を効くことより安心した。ホッとした瞬間から再び眠りについた。
手術は成功したがこれから金属の反発と心理的な反発で予後に影響をあたえることになってくる。・・・続く



手術直後の画像

2013年11月6日水曜日

「骨折とPCRT2」身体との会話・・・130

画像検査



救急処置室に運ばれて医療スタッフの作業はたんたんとした作業で、ベルトコンベアーに乗った製作品みたいな扱いだった。有無を言わさず患部を露出させ、消毒をして画像検査に運び検査を進める。

看護師さんやレントゲン技師は慣れた手つきで患者を扱うが、激痛の上、あまりにもぞんざいな扱いをするので痛みを通り越して思わず怒鳴ってしまった。「もう少し丁寧に扱ってくれ(-_-;)」・・これには看護師さんもビックリしていた。

ほねつぎでもあり、修行時代は骨折の扱いは細心の注意で痛みが出ないように扱うことを指導され、そのコツも受け継いでいる。どうしても、比べてしまう。この扱い方は入院中にも注文をつけた。

とにかく痛い。痛みをこらえるために全身の筋肉に無意識に力が入る。更に筋緊張のため痛みが増幅し、必死にタオルを食いしばってウ~、ウ~・・唸っていた。レントゲン室への移動も振動で患部へ響いて痛い。

レントゲンの単純撮影とCTをとるということであったが「なんでCTまでとるんだ!」また胸部をとるといったので「オレは骨接ぎだ骨折や内蔵損傷ぐらい自分の身体は自分で分かる・・」などと文句をいっていた。(冷静に考えれば医療サイドの見逃しを避ける必須の検査である。)

単純撮影は確か6方向で方向を変えるたびに激痛が走り、技師さんの言葉にも腹が立った。「動くと取れないからじっとしていて・・だめだよ動いちゃ!」動くとだめなら動かないように支えるような工夫をすればいいのだが・・

動きたくて動くわけではなく勝手に足関節が反対を向いて自身でコントロール出来ない。そんなことが技師さんにはわからないのかな・・・脛骨と腓骨が折れていれば動かすことなどできないだろうに(-_-;)

なんとかレントゲンを撮り終えた後が大騒ぎである。若い先生がレントゲンを見ながら「これは骨折していますね。」・・そんなのレントゲンを見なくても分かるよ・・と言いたくなるが我慢して素直に頷き若いDrの顔色を伺いながら聞いていた。

余計なこと言って患部をやたら必要以上に触れるのが恐怖だった。(-_-;)ここは素直に効くことだな・・説明を聞いていると誤作動のスイッチを作っている言葉が頻繁にいっている。「これは酷い骨折だな。粉々に折れているよ。酷いな。半年はかかるだろう。骨折が治っても少し引きずって歩くようになることもあるね・・」

このようなDr本位の言葉を投げ変えていると患者さんは誤作動のスイッチを作っていまう。まさに暗示と言っていい。外部からの情報を脳で思い込みや信念に作り替えてしまう危険性が起きる。PCRTの臨床ではよく見られることである。

このような信念やお見込みは慢性的な疾患や治りを遅くして厄介な症状をつくりだす。医療現場の処置や説明には十分配慮が必要だ。現在も「こりゃ酷い骨折だ!」この言葉は時々思い出す。実際、この言葉を聞いた時には半年は仕事ができないな・・諦めの心境であった。

骨折による患側の下肢は約5から7センチは短縮していた。この状態を放置しておくと神経や血管を損傷しやすく2次障害が起きやすい。更に痛みが増幅してしまう。処置としてはすぐに手術をするのが一番だが、休日で手術ができない。

23日(月)の休診日で整形外科処置ができるDrがいなかったので至急連絡して戻ってきてもらい翌日の手術までベッドで寝て下肢の牽引をして短縮した下肢を戻す牽引療法をすることになったがその間の1時間くらいの時間が長く感じた。・・・続く


受傷時のCT

2013年11月1日金曜日

「骨折とPCRT1」身体との会話・・・129 

唇を噛み締めて・・吉田拓郎
ブログ記事とは全く関係ありません


久しぶりの更新です。仕事の忙しさやプライベートでケガをしたりといろいろなことがあった。。特にバイクで転倒して右足の骨折で手術をして2週間の入院は堪えた。

転倒して右足が動かず足首が膝と反対の方に向いていた時には「やっちまった~(-_-;)・・・」と、後悔とも思える感情が湧きでた。その時にまず脳裏に浮かんだのが、次の日曜日のセミナーのことだった。

九州や関西の遠方からの受講生の顔が浮かんだ。その次に患者さんの顔が浮かんだ。月曜日から予約をしている患者さんのキャンセルのやりくりをどうしたらいいか・・・

体のことより仕事やセミナーの人間関係が先に浮かんだ。冷静に考えたら救急車を呼ぶことが専決だった。救急車を呼ぶために119に電話をした。2,3回やってもつながらない。携帯が壊れたか・・電波が届かないのか・・焦った。

転倒した場所は道のない山中で地図に載っていない場所で救急車が入ってこれない場所で、住所や目印になるものもない、もちろん人などまず入ってこない場所である。救急車を呼べないとどうなるのか・・・この段階で足が疼きだして来た。・・汗

119を何度かかけたが連絡が取れない。5,6回目に119と繋がった。つながらないのは焦って1119番をかけていた。1が一つ余計だった。場所を聞かれてもわからないので答えようがない。携帯の凄いところはGPSである。通話中に位置確認が出来る。

20分くらいしてまわりで救急車のサイレンの音が聞こえるが、場所の特定ができず、ウロウロしている救急車が恨めしくなった。40分から50分くらいで救急隊員が歩いて登ってきて顔を見たときは思わず気が抜け「助かった!」と心で叫んだ。

その瞬間、足に激痛が走りだした。隊員が応急手当をするのだが触るだけで激痛が走り手が付けられず簡易の固定装具を持ってきたがそれだけでは、動かせるだけの固定ができず、思わず「その辺の木端を添え木にして固定してくれ」と言って隊員の方に注文をいってしまった。

山道といっても生活道路でもなく、単なる地元の林業や管理するための作業道路みたいな道で、幅は150センチ位の道である。もちろん救急車などは入れない。さて、こんな急な下り坂の道を簡易の担架でゆらゆら運ばれたら痛くて堪ったもんじゃいと心で泣いていた。

どうやって運ぼうか駐在所のお巡りさんと救急隊員でしばらくやりとりしていたら、なんとミニパトがタイヤを空転させながら上がってきた。幅がギリギリでドアが空かない。後ろのハッチバックを開けて何とか担架のまま乗ることができた。

救急隊員をはじめ地元の駐在所のお巡りさんには随分と注文を付けて運び方はこうしろ、ああしろとうるさく言ったにもかかわらず親切に対応して頂き涙が出た。

救急車で病院に運ばれている時に担架に付き添ってくれた隊員の方の優しさは安心と心強さを感じこの人に身を任せれば大丈夫だ・・・そんな風に感じた。治療院に訪れる患者さんもあのような安心感を術者から得られたら最高だろう。

事故現場から病院までは20キロくらいだろう。時間は覚えていないが長く感じた。確か40分くらいだろう。交差点や道の段差を通過するときに振動がやけに足に堪えた。病院につくまではタオルを口に加えて痛みを堪えていた。

病院につくと休日のため整形外科のDrが外出していて他のDrが見てくれたがなんとも心もとない感じだった。処置をする前に靴をとズボンを脱ぐことで一苦労だった。痛みに負けてズボンを切って靴も切ってくれといったが靴(アウトドア用の分厚い)をきるような道具は無いと・・・涙

この段階で2ヶ月はだめだなと諦めたが・・・・続く













2013年2月20日水曜日

体罰2・・・身体との会話198


前回の続きになるが、臨床の現場においてもスポーツ選手の問題は身体の障害だけにとどまらず、障害の背景には指導者と選手の人間関係が関与していることもある。先日こんな選手が見えた。

少年野球の選手で、指導者から「走り方のフォームがおかしいから走れないんだろ。だからレギュラーで使えない。」と言われて、お父さんがなんとかなフォームを直してくれと来院した。お父さんの目から見ては実際にはそんなに早い、遅いの差はないようだ。

野球の走力はベースランといって、ベースを回る際にベースを踏む位置や走る際のライン取りがベースランの早い遅いにかかわってくる。よって、同じ50M走で同タイムでもベースランのコースライン取りの違いで差が出る。

このコースラインの取り方は指導者が教えるべきであるが、少年野球の指導者がどれほど知っているか疑問である。欲を言えば打球の方向、野手の動きでもベースランは変わってくる。そこまで予測して走るのがベースランである。

指導者は自分の理想であるフォームを持っている。バッティングフォーム、ランニングフォーム、投球フォームと、そのフォームが同じ選手は気に入られる。フォームが違うと変えられることがある。能力の高い選手はあまり変えられることはないが、ほとんどの選手が変えられる。

投球フォームなどは最たるものである。フォームを変えることができないと何かとレギュラー入りも難しくなる。指導者からみて素直じゃないとなる。そうなると体罰ではないが試合に出場することはもちろん練習も同じことをさせてもらえない。

これマアだけでなく、プロも少なからずある。オリンピック選手にあっても同様である。日本のスポーツ界の土壌がそういうものであることは事実である。

学校の部活は選手が試合に出るか出ないかは大きな違いがある。それは、選手以上に父兄が思っていることがある。選手は補欠でも裏方でも学びがあり、部活を通して人間形成は見事に成長する、。

高校野球など見ていると、それ以上に父兄の気持ちの入れ方は半端じゃない。よって、指導者から嫌われたらベンチ入りなどありえない。少しくらいの体罰など目をつぶるのが現状である。指導に関して父兄が口をはさむのはいっさい厳禁なところもある。

最近のアマのスポーツ競技は全国大会になるとTV放映するので、学校経営者も良い宣伝になる。マラソンや野球といった長時間にわたって全国区で放映されるのは名が売れる。経営者もスポーツに力を入れるために、越境して選手を集め特待制度で優秀な選手を集める。

全国に出ることによって指導者は優秀な指導者として崇め奉られて、多少のことは目をつむってまで指導を行わせる。当然、指導法などに経営者は口などはさめなくなる。それが習慣化すると体罰などは罪の意識などなくなり、当たり前のことになる。





2013年2月16日土曜日

体罰1・・・身体との会話197


久しぶりの更新です。

最近、体罰が話題である。犠牲者が出て初めて公になり、物議を呼んでいる。日本のスポーツ界において、特に競技スポーツを行っていた方は一度や二度は経験があるだろう。小生の身近な指導者にも人目をはばかることなく叩いている方がいる。

以前はチームにかかわっていたので、練習の現場に出かけて行ってみていたが、やはりいろいろな指導者がいる。理論家、実践型、カリスマ型・・・それぞれ個性があり、試合でもそこそこ結果を出している。

ここでは体罰を良いか、悪いかという議論ではなく体罰の背景的なものを考えてみたい。日本のスポーツが一般化されたのは戦後であり、東京オリンピックで弾みがつき老若男女が健康を目的に広がったようである。

それまでは「スポーツ」といった言葉自体が普及しておらず「体育」といった、身体を動かして心身の育成が目的であったようだ。特に日本では心身の鍛練には武道が奨励されていて、ボールなどの球技などはごく一部の人たちが行っていた。

武道とスポーツは根本的に違うのでそこを理解しなで混同していると、おかしな解釈でひとくくりにしてしまうといいとか、悪いとかになってしまう。まず、武道は楽しみなどないもので、礼節から入っていくものである。

柔道、剣道、空手道・・相手を敬う礼節、所作、忍耐、命の尊さなどを学ぶためのものであり、ある程度の厳しさや、我慢強さを身につけるためにある。スポーツは礼節より楽しみから入れる。キャッチボール、サッカーなどは小さなお子さんとお父さんやお母さんが広場で手軽にできる。

まずは楽しみ、親子のコミニュケーションからできるのがスポーツである。武道とスポーツの大きな違いはここにある。真冬の外で、素足で寒稽古など欧米人からみたら信じられないだろう。今でこそ武道をやっている欧米人はときどきニュースに出るが。

スポーツは室内体育館で冷暖房が利いたところでできる。環境までも武道とスポーツは違う。その武道をオリンピックに取り入れ用と苦労されたのが柔道の生みの親である「加納治五郎」である。その夢がかなって東京オリンピックで初めて柔道が種目入りした。

その日本の柔道界で指導者が体罰で選手の謀反をひるがえすような感情的な展開になってしまたた。日本のお家芸の柔道で勝てないとプレッシャーはすごいものを感じるだろう。身近に感じた例が私学の高校野球の監督など典型的な例である。

勝利主義の高校野球で数年甲子園に出場ができないと首のすげ替えなど当たり前の世界である。勝てば官軍で教職員の席順まで勝ち組と負け組では上座、下座にわかれる。中には胃潰瘍など身体的障害を起こしたり、転職する指導者も出てくる。

よく言われる言葉に「楽しんでやれ」という言葉があるが、いろいろな解釈ができるだろうが、武道においても厳しさや投げられた痛さからは到底楽しみなどわきあがってこない。スポーツにおいても競技スポーツの色が濃くなればなるほど練習のつらさや、疲労感で楽しみなど縁遠い。

試合で勝って初めて練習の辛さや、きつさが忘れられるというものである。試合で勝利するのは一人か一チームしかないので多くの人が涙をのむのが現実である。その多くの人は負けても、その過程においての辛さを糧にすることも学びである。・・続く



2012年11月27日火曜日

第47回AMI公認AM東京セミナー・・・身体との会話195



2012年度のAMI公認セミナーも先週末の東京セミナーで全て終了した。年に6回のセミナーで福岡、大阪、東京と沢山の受講生が参加して頂き、毎回盛況だった。ありがとうございます。

受講生の増加に伴い国際、国内の認定者もふえ沢山のAM臨床家が誕生し各地で患者さんの信頼を得ていることは主催者側としては嬉しい限りである。

しかし、AM臨床家が増えることでいくつかの問題も出てる。認定を取得することで、満足感がでて認定者の向学心が失せてしまい勉学への努力をしないことである。

認定取得後の勉学が本来の臨床家として知識や技術のレベルアップになり、患者さんの利益にもなる。認定取得後からが本来のAM臨床家であるが、中には認定を取得することがゴールのように思って取得することで満足してしまう方がいるのが残念だ。

そのような方は、年一回の認定維持のための義務的なセミナー参加でいるので、適切でない技術のクセやCP,LODの間違いにも気づかず臨床を続けているようである。セミナーで参加することで間違いを指摘され修正することで安定した技術が保てる。

認定者の方はさらなる高見を目指し日々の臨床と合わせてAM臨床家としての深い学びをしていただきたい。学びには終わりはないはずである。強いて言えば、終わりは自分で満足した時に終わりがある。終わりは自己決定で向学心がきめる。


一年を通して感じたことはセミナーに出てきても少しでも何かを吸収して行こうとする姿勢と年に一度参加する義務で出てくる人との違いがある。その違いは認定取得にある。AM臨床を目指す人はまず、認定取得が目標になり取得ごは目標達成感があり、その先につながらない。

本来であれば認定はAM臨床家のスタートでゴールではない。認定取得の達成感で何を得ることが出来るのか? その得るものは自分のためか? 患者さんに得るものがあるのか?得るもので誰が利益を得るのか? 考えるところだろう。

また、認定取得後にスタートラインにたってから次のゴールは他から与えられるものではなく、自ら次のゴールを設定してそれに向かって精進すべきだろう。我々の仕事はゴールなき仕事であり。唯一ゴール(終わり)があるとすれば、それは誰が決めるものではなく自分で決めるものであるり、そのゴールは自己成長が終わるゴールでもある。

来年度も大方のスケジュールは決まっている。日程などはANJのホームページにUPされる。来年度は今年以上に内容の濃いものを提供したい。そのために我々スタッフもさらなる努力をしてセミナー活動、ボランティア活動と受講生と地域の患者さんと一緒に歩みたい。


拳骨

2012年11月1日木曜日

スキルアップ・・・身体との会話194




患者さんとのコミニュケーションは会話だけではない。オフィスの雰囲気や調度品などの環境やスタッフの顔の表情、所作、服装そしてパンフやチラシなどの案内文や写真、プロフィールの肩書きなど全てにおいていえる。

手技療法においては患者さんと直接、接触するのであるから当然のごとく触診やコンタクトの方法はもちろ「触れ方」は肌で感じるコミニュケーションである。この触れる行為は信頼関係が最も重要である。

信頼関係ができていないと誤解を招く行為になりかねない。今朝の新聞にも掲載されていたが心療内科か精神科か忘れたがカウセリング的な職業で女性の身体を検査目的で触れたと訴えられた。

裁判では薬の副作用で身体に浮腫が出ていないかを触診で検査をしたという申し分が通ってお咎め無しになった。頭をかしげたくなる判決である。いずれにせよ患者さんと施術者の関係は信頼関係が無いと成立しない。

また、最近こんな問合せもある。認定者の肩書きをHPや名刺、パンフに掲載、記載しているが関係団体のHPの認定者欄に掲載されていない。要するに認定者でないのにオフィスのHPのプロフィールに〇〇認定者といった肩書きを掲載している。

以前は認定者だったんだろうと思うが現在は認定ではない。患者さんは認定者という肩書きに信頼を寄せて来院する基準にすることもある。しかし、団体では認定者ではない。迷惑を被るのは患者さんである。

信頼関係を構築するのは時間がかかり、そう簡単には気付けないが壊すのは瞬時にして壊れる。信頼関係を構築する最も大切な間は、やはり治療の間である。この治療を通してのコミニュケーションが信頼関係を構築する最も大切な間である。

先にも述べたが、手技療法は大方は患者さんの身体に触れる行為が主である。この触れる行為は意外といろいろな情報が伝わる。言葉で言い表すことがでない感じる情報の伝達である。感じる情報は相手の気持や気分は勿論、何を考えているかもわかるかもしれない。

とても大切なふれあいである。手技療法と患者さんとの最初の触れ合いは触診が一般的である。施術者の触診の仕方で患者さんは施術者が技量も伺えるし、真剣に触れているかいい加減かを感じるだろう。

この触診も医療系の学校で学んだ機械的な触診はどう感じても機械を扱う触診や検査法で冷たさを感じる。施術者の触診で何を診るかで患者さんの感じ方が違ってくる。やはり、生命という血の通った生き物を診るのだから生命を診る触診を養うことが大切である。

機械的な型通りの触診はコミニュケーションツールとしては役に立たないし、患者さんと施術者信頼関係も成立しない。これからは生命的な生き物を診る触診の仕方を身に着けて患者さんとのこころの通ったコミニュケーションツールの一つとしてもらいたい。

今年度から始まったAMI公認セミナーの前の「臨床基礎プログラム」がその方向性を目指してきて、プログラムに変化を加えてきたことで内容が熟成されて、より生命的な診方である触診方に仕上がってきている。

このプログラムでは他の医療機関で教える機械的な触診法や検査法とは違って、臨床的に有効な有機的な身体の診方が学べるようになっている。現在の臨床を行なっている先生方が施術に行き詰まっている時に、身体を有機的に診ることで新たな臨床がみえるはずである。

触診や検査法は基本であるが同じ基本でも機械的に診るか、有機的に診るかで臨床が変わってくる。有機的な臨床を将来に見据えている先生方や現在もどうも患者さんとのコミニュケーションがうまく行かない先生方も是非受講していただきたいプログラムである。


詳しい情報はこちらを参照。
http://www.activator.gr.jp/category/1772740.html


拳骨


2012年9月12日水曜日

身体との会話123・・・・・AM大阪セミナー



先日、今年最後のAMI公認AM大阪セミナーが終わった。今回も沢山の受講生が参加されて有意義な時間を過ごせた。小生も沢山の学びができて成長できたセミナーでもある。AMI公認セミナーも残すところ東京の1回のみとなった。認定を更新される先生方は忘れず参加してください。

今回の大阪セミナーで認定試験を受けた方の合格率が悪かった。認定試験にチャレンジしてくれるのはいいのだが・・・・今回の大阪セミナーの筆記試験は100%の合格率であった。筆記試験はできても実技がいまいちである。

認定試験を受けるために実技を練習しても短期間では身につかない。CP、LODや触診などができていない方が多い。AMの臨床家を目指すのであれば認定試験の合格だけを目的でやっていたのでは臨床では使い物にはならない。

ある意味、臨床で使いこなせて次のステップのために認定試験を受けるような気構えでないと受からないだろう。臨床で使い込んで試験を受ける。そのほうが安定した技術が身につくし臨床の応用が効く。

もひとつは認定維持のために年一組の方の間違ったクセが目立つ。さらに悪いのはCP、LODの間違いや勘違いをしている方が目立つ。実技でも他の先生方の施術をみていないで、無駄話をして参加していない方が多い。

年一の同窓会みたいな感覚で楽しんでいる。ここは同窓会で楽しむとこではなく施術の議論をしたり感じたことを話し合って楽しむところである。セミナー参加の目的意識が低すぎる。その多くの方が国際基準の学位保持者であり、ベテランの範疇に入る先生がたである。

同じ国際基準の学位保持者の先生方が全てそうであると言っているわけではない。このような意見を述べている先生もいる。是非紹介したい。



「昨日、今日とアクチベーターメソッドカイロプラクティックテクニックのセミナーに参加していました。
今回でこのセミナーも14回目の参加です。
初参加の方に「なんでそんなに参加するんですか?」と聞かれた。
テクニックセミナーって1回参加して、やり方を教わったらもういいやという人が多いです。
でも、例えば日舞を始めて師匠に14回指導を受けてそれでベテランとは言えない。
また空手道場で初心者が数年道場に通ってる人に、なぜ未だに通ってるんですか?という質問はナンセンスです。
趣味の世界でもそうなんですから、職業として学ぶのであればより真剣になるのは当然だと思うのですが…
現に今回のセミナーで自分の中で発見がありました。
有名な芸妓さんが言ってました。
芸事を学ぶ時は、徹底的に師匠を真似る。それでも最終的には個性がでる。だから、初めから個性を許すと最終的にはまったく別物になるのだと。
頑張らねば(^^)」

(渡辺賢治B.C,Sc FB投稿より抜粋)



拳骨

2012年8月7日火曜日

身体との会話122・・・・・統合医療





統合医療のあり方の検討は? エビデンスがあるものを入れてないものはチョット待てよ・・これもある意味では正論かもしれない。また、医師がコントロールできる代替医療を統合医療に入れる。そういう見方もできる。

原発の是非をめぐって市民との討論をしたが、下工作で原発推進の原発従業員が入って意見を申すことがあったが、さほど変わらない検討である。そもそも統合医療は西洋医学では補えない医療を補完的に協力して補って患者利益を目指すものである。

現代医学や代替医療の業界発展のためのものでもない。それ故、医師のコントロール出来る範囲とかエビデンスがあるものだけとか本来の目的から軌道がずれているように思える。まして、医療業界のいがみ合いでもないはずである。。

世界的にみても現代医学は市民権を得ていて主になって患者利益を行なっているのは明らかで否定するものでもないし、緊急医療の外科や生命を機械的に診て詳細の細胞レベルまで調べて病気を解明することには長けている。代替医療にはできないことである。

しかし、できないことと分野が違うことを理解しないで、同一的な目線でみると医療界の違和感が生じ、協力共存することより啀み合いとか対立的になってくる。やはり、患者優先でみたら協力共存が理想である。互いにできるものとできないものがはっきりしている。

できるものとできないものは臨床の立場にいる医師も施術者も理解しているはずである。しかし、現代医学はエビデンスや科学を盾に土俵に乗ろうとする。本来、エビデンスや科学で解明できないものが代替医療であり、相反するものである。

実際の臨床ではエビデンスや科学に基づいて医療を行うことで再現性や医療の正当性を証明をして生命に外的に手を加えて治癒させているかのように思っている。しかし、手を加えることは必要だが、手を加えた後の生命力の如何で治るか治らないかが決まる。

癌の摘出手術の後の生存率や治癒力などは典型的な本人の自然治癒力である。これは本人にが持っているものであり、外から手を加えるものでもない。さらに、手を加わえることの限界がある。勿論、代替医療とて同じである。そこに気づくべきである。

先日もFbを賑わした記事があった。整体かマッサージなどの無資格の施術で患者さんの身体的に外傷を与えたり、苦痛を与えたりする苦情が後を絶たないという記事である。このことは資格云々や知識、技術の教育もあるかもしれないが、最終的には施術者の資質の問題である。

記事は代替医療の無資格云々を言っていたが、社会的に医療被害は代替医療の分野だけではない。現代医療の世界でも薬害や手術のミス、投薬のミスなど数えたらキリがないくらい多発している。この事実と比べたら代替医療の事故は少ないはずである。こんなことを書くと白黒判断になってしまうが、事実は事実として謙虚に受け止めなければならない。

こんな記事もある。


一般社団法人「国家ビジョン研究会」が20日に開いたシンポジウムでは、医師や看護師らが参加したパネルディスカッションが行われ、統合医療や看護、臨床研修制度など、幅広いテーマで意見が交わされた。シンポジストからは、「西洋医学は限界に達している」との声が上がり、薬に頼らない食事療法や、患者を内面から支える看護ケアなど、自然治癒力を高める治療の効果を見直す必要があるとの意見が出た。
写真ニュース
活発な議論が交わされたパネルディスカッション(20日、衆院第一議員会館)
 東京都新宿区の丹羽クリニック院長で、同区医師会理事の丹羽正幸氏は、治療法におけるパラダイムシフトの必要性を繰り返し強調した。開業後、4万人以上の難治性疾患患者を診察してきたという丹羽氏は、西洋医学だけの治療法が限界に達しているとした上で、「自然治癒能力がこれからのテーマになる」と指摘。体の各組織や精神までを多面的に治療する「融合医療」で、可能な限り医薬品を使用しないことが望ましいとした。

 また、社団法人「生命科学振興会」理事長の渡邊昌氏は、日本の医療費が増え続ける中で、経済的な観点から「食べること」の意義を指摘。糖尿病や高血圧など生活習慣病の治療では、食生活の改善の方が、医薬品の投与よりも効果が高い場合がある上、それが医療費の節約にもつながるとし、「患者が自己の治癒力を知ることが大事だ」と述べた。

■「日本版ACGME」の創設求める意見も
 一方、臨床看護学研究所の所長で、日本赤十字看護大名誉教授の川嶋みどり氏は、患者の高齢化や病院の在院日数の短縮化などで、看護の現場が危機に陥っているとし、「(患者の)手に触れ、癒やし、慰める方法から遠ざかっている」との懸念を表明。その上で、患者の生活を支える「療養上の世話」の重要性を指摘し、厚生労働省が検討している看護師の認証制度については、改めて反対の立場を示した。さらに、看護職員の配置人数によって入院料が決まる現行の診療報酬体系を改め、費用対効果や患者のQOL(生活の質)に基づいた看護の報酬に見直すよう求めた。

 このほか、野口医学研究所理事長でハワイ大教授の町淳二氏は、米国での臨床経験から、日本の臨床研修制度の問題点を指摘した。町氏は、米国では1980年代に、医師会の主導で「ACGME」が設立され、卒後の臨床研修の認可制が導入されたことを説明。学会が認定する日本の専門医制度では、臨床レベルの「標準化」が進まないとして、研修施設の認定を行う第三者機関が必要だとした。【敦賀陽平】
http://news.cabrain.net/article/newsId/37724.html

出典:医療介護ニュースより

これも医師からみた臨床的な事実である。やはり限界を感じていることは患者さんの利益にならないことを示唆している。これらの事実を真摯に受け止めて現代医療と代替医療の互いの分野をわきまえて協力共存をしていくことが患者優先のあり方であると思う。

拳骨


 

2012年7月26日木曜日

身体とのの会話121・・・・・AMI公認AM東京セミナー2



先日のAMI公認AM東京セミナーの気づいたことのフィードバック。何と言っても基本の忠実さにかける。CP、LODいずれもいい加減である。すべての人ととは云わぬがほとんどできていない。さらに、下肢長検査の評価がいまいちである。

もうひとつは時間内で効果を出して仕上がっているか、一人の患者さんにAMだけで30分以上も掛けて臨床で使っているのではないかと思えるようなのんびりして治療をしている方がいる。各先生方の治療スタイルがあるので時間は自由であるが、長ければいいというものではない。

CPとLODは一度間違って覚えると、誰かに注意されないと気づかない。一年に一回受講の方は一年間間違いに気づかない。一年に一度の方がセミナーで間違いを指摘されないと2年も気づか凪いでいる方いる。中には3年、4年と・・・

特に認定者の方に多い。今回も受講数15回以上の先生を見させて頂いたが15回以上間違ってCPとLODを行なっていた。この先生は謙虚に指摘を受け止めて修正して喜んでいた。普段の治療では全く間違いに気づかない。指摘してくれてよかったとコメントを頂いた。

本来のAMI公認セミナーは卒後教育ということでスタートしたので、すでにカイロ大学のカイロの基礎はすべてマスターしている事が前提である。CPもLODもマスターしていることが前提であるためにAMI公認セミナーではCP、LODを事細かに教えることがプログラムには当然入っていない。

国内の受講生は鍼灸や柔整の先生が受講されていので、それぞれのバックボーンが違い、カイロの基礎的な教育ができていないことがあり、AMI公認セミナーではCP,LODを教えていたが、本セミナーの実技時間は下肢長検査などのAMに関する実技が重視されるてくる。本セミナーでCP.LODを行なっていると下肢長検査が進まない。

そこで、今回からCPのとり方の触診法や日頃の臨床で役立つ筋力検査を学ぶために臨床基礎プログラムを設けて受講していただくようになった。すでにカイロの基礎を学んだ方も再確認をするためにも、勿論、鍼灸や柔整でカイロの基礎がない方はぜひ受講して触診法や筋力検査を学んでほしい。

http://www.activator.gr.jp/category/1485545.html#kiso 臨床基礎プログラムはこちら参照


今までの認定試験は型が出来れば臨床で効果を出さなくてもそこそこ合格してしまう。やはり、臨床で使って効果を出すことが求められるのであるから、臨床で使っていなくては意味が無い。通常、AMを臨床で使うと10分から15分あれば十分である。

試験の時に検査してCPを探してLODを決定してから強制まで1,2分なれば十分である。実査に臨床ではトータルで15分くらいであるからひとつの検査強制は1分もあれば十分だ。真剣で合格する方は検査、矯正に無駄な動きがない。アイソレーション、PT,STを確認するのに数十秒である。5分も10分もかからない。

1分以上もかかっている方は普段からの臨床で無駄な動きが多く、正しい検査やCP、LODの確認ができず迷っている方である。はっきりいって合格は難しい。臨床でも長い時間を掛けて丁寧すぎるほどの時間をかけすぎている。

臨床でも10分から15分くらいで治療を終わるような訓練をするといい。長く掛かる人は丁寧ではなく無駄な動きが多いということである。時間管理も治療効果を高める要素になる。


拳骨




2012年7月23日月曜日

身体との会話120・・・・・AMI公認AM東京セミナー1



AMI公認AM東京セミナーが週末に行われて皆さんのご協力を得て無事終了した。今回は同じ日にAMI社でもインストラクタセミナーが行われて世界各国から100人以上のインストラクターが出席し、日本からは保井ディレクターが出席した。

今回のセミナー初日ではスカイプでDr.Fuhrからオープニングメッセージというビッグなサプライズがあった。会議で忙しい中、時間を割いて東京セミナーにメッセージをいただけるとは嬉しいことである。また、Dr.Fuhrは日頃から日本の受講生を気にかけている。Dr.Fuhrの優しい人柄が伝わってくる。

二日目に、保井ディレクターからフエニックスでの会議の内容や研究発表の内容をスカイプで報告があった。その中で印象的だったのは米国でも行動分析を行なって患者さんのニーズに合ったような対応が望まれると言うようなことであった。

奇しくも日本でも患者教育で患者さんとのコミニュケーションを重視した評価法を行なっている。米国はカイロプラクティックの発祥地で、カイロも機械的な思考が多く、患者さんとの関係も事務的なことおように思えるが、これからはDrと患者さんとの関係も密になりコミニュケーションが重視されるようになってくるのかもしれない。

もう一つ印象的だったのは、やはり「アクティベータⅤ」である。うわさは聞いていたがデザインや駆動法が電気かエアーか想像してたのとは違っていた。いい意味で予想を裏切られたようだがかなりまとまっていた。コードレスといういうのも優れている。国内販売が楽しみである。


拳骨




2012年7月2日月曜日

身体との会話119・・・・ 心身条件反射療法研究会ベイシック2




心身条件反射療法のベイシック2の研究会に参加した。今回も定員を越える先生方が参加されて熱心な眼差しの中で無事終了した。開催当初から参加させて頂いているが、創始者の保井D.Cの研究成果が成熟されて、今後の進展の第2段階に移ってきたように思える。

この進展も現代の医療状況や社会情勢の変化に常に対応して、その次代のその時間のニーズにマッチした代替医療のあり方を提案し、更に先行きの変化を予測しての流れの中での変化発展であると思う。

心身条件反射療法は、心と身体の関係性を診ていくが、こころの問題の原因を探しではない。心と体の関係性というと、こころの問題にクローズアップされるが決してそうではない。機械的にはこころの問題の原因、すなわちストレスに対する考え方などを問題としてしまうが、そこを何とかしようというものではない。

例えばこんな例がある。6月27日の読売新聞の人生相談のコーナーにこんな投書があった。家族旅行を毎年計画して、旅行の当日になると、御主人はここ数年、毎年熱が出るという症状で、専門医に受診をしたが改善せず、どうしたら良いのかという相談である。

その答えをした専門家は精神医科の専門家である。その方の回答は、病理的なものではなく条件反射的に旅行というものがストレスになり自律神経が乱れて熱が出る・・・旅行に行ってもにとり部屋で窓でも眺めて、それが自分の旅行スタイルだと思っていっればいい。これが答えである。

病理的でないなら、正にストレスが影響しているだろう。切り替え方もその切り替えでいいと思う。意識的にはこのような回答がベストかもしれない。現代医学のモデルはこれで正解だろうと思う。心身条件反射療法では、さらに深く探って、潜在意識レベルでどんな変化があリ、その変化が脳の誤作動を起し、その誤作動を起こした脳が各系の乱れを作って各器官の誤作動、つまり症状を引き起こしていると考えられる。

潜在的な分野に焦点を当てて潜在的な脳の誤作動を修正することが心身条件反射療法である。一般的に云われるのはストレスを自分でどのように感じて、どのように答を出すかである。その答を自らの意識で出しているということで、意識を出している意識的な心に焦点を当てているのが現代医学モデルに思える。

現代医学的なみかたと心身条件反射療法のみかた、意識をみるのか無意識をみるのか、そんな違いがあり、決して対するものではない。根本的に焦点の当てるところが違うのである。よって意識的なみかたの専門家も存在し、無意識的なみかたの専門家も存在していいと思う。

意識と無意識は常に葛藤をしていて、その葛藤が無意識と意識のズレが生じた時に誤作動を起し、それを繰り返して行くことで条件付けされて無意識で同じ条件で誤作動を起こすスイッチが入ってしまい、神経系の乱れが生じると考えていいと思う。

この誤作動をエネルギー的に診ていく専門家が心身条件反射療法であり、焦点もこの無意識の誤作動に当てて行くべきで、決してその人の心の問題に焦点を当てて原因を追求することとは違う。心の問題に焦点を当てて原因探しをすると患者さんを追い詰めることになる。

研究会に参加されている先生方には、この部分のすみ分けが難しい方もいるだろう。研究会の講義のなかでも幾度と無く説明をしているが、実際に治療を進めていくうちにこのことを忘れて焦点を無意識の誤作動ではなく、意識的な心の問題を焦点を当ててしまうことは避けたい。

これからの心身条件反射療法が当たり前の治療として発展してく過程においては、しっかりと施術者が理解して、社会的にも誤解がないように発展して行くことが理想である。また、このようなことを理解するには、創始者の保井D.Cの哲学的な背景を読み解いていく事も大切である。

拳骨

2012年6月5日火曜日

身体との会話118・・・・・心身条件反射特別上級研究会


3日、4日と福岡で心身条件反射療法の上級認定者特別研究会があった。上級者と言うことで参加された先生方はいずれも知識、技術はもとより人間力も成熟した方ばかりであった。小生が見習うところ大である。

上級レベルの先生方の集まりであるために内容も濃く心と身体の関係を鋭く追求した項目が多かった。この心身条件反射療法の創始者である保井DCは、この施術方法を社会的にもごくごく普通の当たり前の施術方法として、気楽にマッサージでも受けるような感覚で普及させたい思いがある。

したがってこの施術方法は特別な能力を持った人だけができる特別な施術ではなく、確かな学習と正しい使い方を学んだ人であれば誰でもできるものであり、不思議な不可解なものではない・・いわゆる「ゴッドハンド」とか「魔法の治療」そんなものでは無いことを強調して研究会を行なっている。

手技療法は理念や方法が多種でり、裏付けがとれたもの根拠に基づいたもの、あるいは感覚で感性で行うもの様々である。根拠や科学的裏付けがありかつ理論的にもとづいて技術が成り立つことが理想であり、社会に認知されて初めて普及するものと思える。

まだまだ手技療法の科学的根拠は貧しいのは認めざる得ないが臨床と同時進行していくにはやはり臨床の現場を無視することもできない。根拠のないものだから臨床では使えないでは無く、根拠が明確でなくても再現性のある結果は使っていくべきである。また、再現性のある結果は根拠にもなる。

今回の項目に「遠隔治療」があった。このあたりは胡散臭い眉唾ものに思われても仕方ない。と言うより信頼性や根拠がないに等しい治療方法である。下手をすると社会的にも誤解されて問題になる可能性はある。しかし、あえてこの項目を設けて受講生に紹介するのは再現性があり、誰でもできるという根拠があるからだろう。

誰でもできるということは特別なものでもなく普通のものである。ただし、正しい知識と技術の習得は必要であり、その部分は誰でもではない。それなりの学習が必要でり、もっと大切なのは患者さんと真心の通ったコミニュケーションができる施術者に限られる。

真心の通ったコミニュケーションも当たり前のように思っているし、普段そんなことを気にすることもないだろうが、意外ととれているようで取れていないことがある。施術者の一言で傷つく患者さんもいる。この部分は遠隔治療や施術とか関係なくどの業界においても人と人の関係性がなくてはならない人間力である。

患者さんを利益を上げる商品として見ているとラポールは形成されない。ラポールのない施術は成立しない。当たり前のようなことができない事が多い。施術者の何気ないアドバイスや根拠のない説明で治るものも治らない、心配や不安をあおり症状を悪化させたりしていることに気づかない方もいる。

正直な話、患者さんで苦手な患者さんが居ると思う。小生も居る。苦手な患者さんがいるうちはコミニュケーションが取れていないと思ったほうがいい。どこかでミスマッチが起きていてどこが原因だか気づかない。そんな時はセルフコーチングしたり、専門のコーチからコーチングを受けると気づくことができる。一度お試しあれ。

話を戻して、今回の遠隔療法は受講生全員が体験して全員ができることが確認できた。よって、眉唾ものでは無いことが少し解消された。これも参加された受講生のレベルの高さや知識の高さ、意識の高さ・・・人間力の高さがあるからできることと思う。

誰でもできることは特別なことではないが、一般的でないことへのチャレンジが成功すると人間というものは知らず、知らずに内なる変化をする・・・特別、慢心、傲り・・・私はそうならないと思うのは人の常であり、そう変化している自分に気づくはずもない。だからこそ変化していく。

今回受講された先生方は人間力を備えているので間違いは無いだろうが、再確認をする場から離れたときは内なる変化が現れた時だろう。そう言う小生も同様である。戒め戒め!!


拳骨


2012年5月23日水曜日

身体との会話117・・・AMI公認AM大阪セミナー




第44回AMI公認AM大阪セミナーが20日と21日行われた。満席の受講生の参加があり熱い学びの中で終わった。この時期に沢山の受講生の参加で満席になるのは憂いしことでもあり、受講生の希望に応えられるような内容を提供する責任も感じる。

AMI公認セミナーはAMI社のプログラムを忠実に提供している。更に、受講生が何を求めているか、何を求められているか常にアンケートを参考に臨床という現場にあったものを提供していくことを心がけている。

参加する動機は様々であるが、熱い学び心は同じである。カイロプラクティックを構造的なイメージで捉えてAMI公認セミナーに参加すると、勝手が違ってくる。構造からアプローチとは違うので、どうしても比較してしまう。

自分の思考にインプットされた情報は整理されて刻まれている情報を信じることがエネルギーになりアウトプットされて行動につながる。この情報の整理は自身の経験や環境、思想が整理する。このことは信念や価値観を形成するうえで重要な部分である。

一度、形成された信念や価値観を変化させるのは、そうたやすく変えることはできない。それを変えることは自己否定にもなる。存在感を左右するものであもある。これは知識や学問でも同じである。一度教育されたものは自己を形成する核になる部分でもある。

この教育が信念や価値感を形成するが、価値観で冷静に見てみると何か気づくはずである。価値感と価値観は意識、無意識の違いでもあり、この対峙する「カチカ」を自問自答すると更に深い気づきが得られる。

この「カチカン」に境界線を引いてしまうと「分」を作ってしまう。この分は大切でもあり窮屈でもある。日本語には「分」に関わる言葉がある。「身分」「分をわきまえる」「分相応」「知足安分」「大義名分」・・この分はわれわれの業界にも言える。

同じ医療、身体の健康を扱うものでもそれぞれの専門分野がある。この分は文化の違いでも異なってくる。古くは江戸から蘭学と漢方学の分の違いもある。当時からいがみ合っていたようだ。こっちのほうが優れている、そっちが劣っている・・

純粋に健康をみるのであれば分け隔てなくお互いの垣根を取り払い協力してみていくのが理想である。どの業界も類似業種との関係を分をわきまえず一線を超えてズケズケ入って来ると感情が働き、抵抗するようになる。

セミナーに受講されている先生方もそれぞれのバックボーンがありその分野の専門家である。あえて患者さんの利益を考えて他種の技術を学ぼうと努力している姿は素晴らしい。この時の専門分野から一線を越えることは社会の役に立つことである。

分を越えることと、わきまえないことでは違いがある。分をわきまえて一線を超えて他種の分に入り込むのは大きな利益が生じる。なんといっても患者さんが大きな利益をえることになる。西洋医学の専門家、東洋医学の専門家、カイロプラクティックの専門家、鍼灸の専門家、柔整の専門家・・

分をわきまえて分を超えてくるが学ぶ謙虚さには差別はない。まして、学ぶ理由が患者さんの利益という志が同じであれば、何ら問題はない。


拳骨

2012年5月3日木曜日

身体との会話116・・・ICC国際コーチング6



最近の気づきは人生を考えさせる気づきがおおい。更にその気づきが大きく、深い意味があることに驚かされる。臨床を30年もやっていてなぜそんなことに気づきもせず、深い考えもなくやっていたのか恥ずかくなる。穴があったら入りたいということはこのことだろう。

前回に患者さんとの間のとり方や居心地の良さを書いたが、その背景にある気づきを得た。実に当たり前のことで、日々考えもしないが深く考えれば深い答えが見いだせるかもしれないし、軽くか考えれば軽い答えが見いだせるだろう。本人次第だ。

小生の人生には生活もあり、仕事もあり、環境もある更に細かく言えば家族関係、人間関係、金銭関係全てにおいて人生である。自然環境に癒されることも人生であるから草木の芽吹きや鳥の鳴き声までが人生の一部である。すなわち感性も人生である。

意識的に計算高く生きていくことや自然に癒される感性的なことも、無意識的な人生感である。ここで人生感と人生観が出てくる。この「感」と「観」と出は意味合いがかわる。感は正に感情しか生まれない。すなわち人生感は本能的な感情の部分で無意識といえる。本音の部分とも言える。

人生観は、多くの出来事を理性で解釈し理路整然と情を受け入れて容認し、苦難に立ち向かうエネルギーにもなる。私たちは人生観と人生感、すなわち意識と無意識の間で自問自答をしていろいろな気づきを得て、日々の問題や悩みを解決している。

その意識と無意識の間に揺れながら日々臨床を通して、患者さん向き合っている。その向き合いの中で患者さんの健康とどこまで関わっていけるのか? あるいは、関わっていくべきなのか? 悪ァっていいのか? 関わってはいけないのか? 今更そんな事言われなくても・・・と、言いたくなるが解っているようでわかっていない。

分からなくても治療は成立するだろうし、患者さんとのラポールも気づくことはできるだろう。今更と思うが、しかし、これを考えると仕事の価値観や治療の価値観にも変化が表れるはずだ。関わることは責任が発生する。この責任は仕事を通して、あるいは、治療を通しての人生での責任でもある。

この責任も患者さんとの関わる深さで重くもなり、軽くもなる。関わる方の腹で決まる。さて、もう一度患者さんの健康にどこまで関わるのか考えてみる。オフィスにら医院して痛みが取れればそこまで。その時の一時的な関わり方。それもよし。

臨床30年もこの地でできることはそれなりに地域からの信頼があると思っている。その信頼を得るのも患者さんの健康に関わってきた安心や頼りにされていることになると思う。この信頼を得ることはオフィス内の一時の出来事に関わることではできない。地域の皆様の健康と一生関わっていくことでできると思う。

当然、責任は重くなると同時に間を取り間違えると気づかないうちに深みにはまり、抜けなくなり関わりが施術者依存のコミニケーションが形成されて、更に責任の所在が施術者にのしかかることになる。良し悪しである。深く考えれば深い答えが見いだせる。浅く考えれば浅い答えが見いだせる。


拳骨




2012年4月26日木曜日

身体との会話115・・・ICC国際コーチング養成講座5



ICC国際コーチング養成講座はとりあえず終わった。コーチング養成講座を受けてから何が変化が出たか?これほどまでに価値観の変化や思考のクセに気づいたことはない。大げさかもしれないが人生感の居心地が良くなった。

小生の一番苦手とする人との関わり。その苦手なもので商売しているのだからお笑いものである。それ故手技療法という特殊な世界で技術を売り物にすることだから、勤め人の営業とはチョット違うので、人付き合いができない小生でもできるだろうと思いつつ30年が過ぎた。

手技療法ということで手技療法もいろいろなテクニックセミナー出て結構学んで、身につけた。技術屋と言うのは面白いもので、技術が身につくと結果が出る。そのことで治療が面白くなる。いつの間にか医療という世界観から機械的な技術になっていた。時には他の先生より上手くなろう、なんでも治せる。そんな思いまで芽吹いてきた。

技術が上達すればするほど治療は面白くなり、毎日の臨床が楽しい。結果も伴い手技療法の素晴らしいさや、これまでに人間のやることがいい結果が出るのか、自分でも驚くほどのものであった。なんで治るかななど正直解らないが、あるいはわかっていても推測の域ををでない。

自然治癒力、自然治癒力とわけのわからんことを唱えて、結果オーライであれば満足していた。この治ることに患者さん自身の「思考」が関与している事がわかった。わかったと言うより、実感した。更に、メディカルDrや生物学の賢威のある先生方の本にも同様のことが書かれている。

この実感できたという例は臨床において多々ある。小学生のオスグッドで動けないのが話を聞いてやることで歩けるようになったり、難治なしもやけもストレスを解放するだけで治ったりと・・この結果は、治療技術というよりかん自らの思考による「治し」であると実感できる。

ここまで来ると治療の面白さが倍増し、なんでも来い!みたいな臨床になる・・・が、しかし、時に患者さんと対していると治療は面白いのだが、なんとなく違和感があったり相性が合わなかったりと居心地が良くない時がある。結果が出るのでそのままであるがそのような患者さんを治療した後は疲れる。

「好きな仕事は長続きする」よく言われる。面白いから好きなのか、好きだから面白いのか・・何れにしても長続きする条件の一つになるだろうが、必ずしもそうとは言えないのも事実である。最近、自分がコーチングを受けて気づいたことは、患者さんと一緒にいて「居心地」はどうなのか?

「居心地」など考えたこともない。「居心地」などは考えることより感じることだ・・感覚で受け止めていたので考えることなど全く浮かばない。トレーナーの質問で、おや?っと思った。実際の臨床を振り返り、治療中の自分を客観的にみたら、治療中の顔がこわばり、一生懸命、ありとあらゆる技術で直している自分が見えた。

自分がこんなに緊張していたら患者さんも緊張している事が見えた。この緊張感がお互いの居心地を悪くしている事に気づいた。「居心地」など考えても見なかったが、あらためて見つめ直したら大切な事があらためて気づいた。

「居心地」の悪さは気づかないうちに、患者さんが合わない、結果が出ないと患者さんの原因にある・・など原因を相手に求めたりするようになる。「居心地」の悪さは作っているのは自己にあることに気づく大切である。

「居心地」の大切さは理解できたが、さて「居心地」を良くするにはどうしたものか?これも大きな課題である。一口にこれだ!と言い切れるものは現在のところ見つかっていない。複雑なエネルギーの波長が合わないのだろう。これを合わせる事が「居心地」を良くすることだろうと思う。

この「居心地」の改善度を評価することで、どれくらい「居心地』が改善したか確認することも大切である。その確認をどうして行うか?これもまた難しい。感覚で捉えることも重要だが、どれくらい改善したかを客観的に確認できることでゴールに向かって進んでいるか過程状況がわかる。

機会があったらセミナーなどで施術前後の評価に取り入れてみたい。


拳骨


2012年4月17日火曜日

身体との会話114・・・ICC国際コーチング養成講座4



昨日はICC国際コーチング養成講座の最終講座で筆記試験があった。できは??後は7月までに2症例の報告とセフルコーチングの提出で合否が決まる。試験はさておき、今回の講座でコーチングの奥深さを学ぶとともに人間の無限大の可能性に驚きを感じた。

コーチングの勉強のためにいろいろな本をみつけて読んでいた。コーチングやNLPのマニュアル本は沢山出ているので内容に関してはどれも遜色ない。コーチングは人と人の関係性に成り立ている。そこで「関係性」に関わる本を物色していて、ある本が目についた。

「思考のすごい力」ブルース・リプトン著・・この本はコーチングに役立つことを目的にさがしていたら、不思議な導きでPCRTのエネルギー治療に参考にもなる。やはり、コーチングやPCRTは関係性で心身の変化が生まれのかとつくづく感じた。

この本の著者は細胞生物学博士(ヴァージニア大学)で、ウィスコンシン大学医学部などで教鞭をとったのち、スタンフォード大学にて、細胞膜に関する画期的な研究に従事。遺伝子は単なる生物の設計図にすぎず、意識や環境が細胞をコントロールし、遺伝子のふるまいを変えることを明らかにし、エピジェネティクスという新しい分野の先生である。

内容は、「細胞をコントロールしているのは、細胞核ではなく、環境である」と言っている。そして、50~70兆個の細胞のコミュニティーである人間をコントロールしているのも環境であると。人間にとっての環境とは、勿論、居住環境、職場環境といったものもあるが、自分の認識すること、自分の考えていること、つまり、自分の信念が私たちをコントロールしている。

その自分の信念、すなわち、自分が何を信じているかにより、環境から受け取る信号が変わり、その信号が私たちをコントロールしているらしい。

コーチングを学んでいる時にこの本を読んで印象に残った一節を紹介する。

「人間というものは、間違った”信念”にありったけの情熱を注ぎ込み、不屈の頑張りで執着し続けるものだ。人一倍合理的に頭が働くはずの科学者だって同じだ。私たちに、これほど強い信じる力があるのは、脳を中心とするよく発達した神経系を持っている身体。

一つの細胞は、環境に対してかなり反射的に、単純な反応をする。一方、人間は複雑な神経系で環境を感知するので、環境に対する反応はずっと複雑だ。人間の心は単独で、環境のとらえ方も単純ではなく、環境をどのように知覚するかを自分で選ぶことができる。つまり、”信念”は変えることができ、信念を変えれば人生を変えられるのだ。」


人は変化する・・・性格は変わらない、変えられない、生まれつきだ・・遺伝子に操られていると持っていたものが実は単なる環境や周りの情報が自己の信念に頑なに守られて、その信念をその人の個性を生み出すエネルギーにしていたようである。

信念は環境、生活習慣、経験などが潜在意識に落とし込まれて自己を守るためのルールを作り、そのルールは本人の足かせになり身動きが取れず窮屈は人生を歩んでいる。しかし、その信念も変えることができるとこが証明されている。

実際にコーチングを受けることで自己を制限している信念を見つめなおし、その背景に何がるのか気づくだけで、頑なに持っていた足かせとなっていた信念が外れる。コーチングはクライエントに自ら考え、気づかせることである。

メディカルモデルの患者さんがDrに解決策を求める依存系ではない。あくまでも自立系の解決さを自ら選択することによって大きな気づきができる。この気づきで信念が外れる。人間は変わることがでる。変わった人間は無限の可能性を持っていることに気づく。

PCRTも生命の無限の可能性に気づきを得て、自ら生命体に変化を促すことで、細胞レベルでの変なが恒常性を正常にさせ健康へと導くと考えることができる。コーチングも思考的なレベルで生命の変化を促し、心のありように変化を求めて自らの可能性を引き出す。





拳骨