臨床的に患者さんから色々なアドバイスを求められることが多い。生活習慣の改善方、リハビリ的な運動法、予防的な運動方法など。このあたりのアドバイスは答えがある程度明確になっているものは、白黒はっきりと適切に答えることができる。・・・が、しかし全ての患者さんに適切であるか?
また、施術者はこの求めに正確に答えなければと色々な知識を習得する。ある先生は専門的に、ある先生は浅知恵の一般論まで様々である。専門性を持って知識を得ることはいいことだが偏って見ることこともある。偏った知識が果たして適切なアドバイスになるか?
腰痛患者さんの例をあげてみる。「先生、腰痛は運動不足ですかね? 筋力が弱いんですかね? 腰痛にいい運動は? ストレッチはどうやったらいいんですか? 教えて下さい」こんなアドバイスを求められたら、さてみなさんはなんて答えますか。臨床ではよくあることで、みなさんも経験していることだろう。
さて、このアドバイスを求める患者さんから何かが読み取れる? ただ単に、患者さんの求めるアドバイスの答えを用意して適切に応じるだけでは、患者さんの腰痛改善を助けるアドバイスはできないだろう。まず患者さんが潜在的に何を求めているか知ることが必要だろう。
この患者さんが潜在的に何を求めているかが読めると、自ずと答えも変わってくる。よって、適切なアドバイスも出来る。患者さんが潜在的に何を求めているかがわからず、機械的に運動はいい、腹筋運動は腰痛予防に効果がある。何回やりなさい。何時間歩きなさい・・
多分言っている施術家の方も何の根拠もなく言っている。テレビや雑誌で言っていることをそのままオウム返しに行っている。なかにはお笑い番組の受け売りで言っている。根拠のない「一般論」だ。100歩譲って、正しいことであっても必ずしも患者さんに適切かというと必ずしもそうではない。個別性を無視しているアドバイスである。
アドバイス=助言・・助言≠答え・・あくまで助言であり答えではない。患者さんの求めている答えは白黒はっきりした、1+1=2 と言うような答えである。この答えが正しい場合(この場合は患者さんに合っている)には、この先生はいい先生、合っていない場合は頭をかしげる先生である。更に、合っていない場合の責任をその答えを出した先生に転換する。
助言者は答えを出さずに、幾つかの選択肢を提供し、選ぶのはあくまでも患者さんであり、答えを出すのも患者さんである。臨床に於いても、患者さんは「治療すれば治るのは当たり前」と思っていて、治ることを前提にして来院する。オフィスでの施術者の言動には全て施術者に責任が発生することを頭においておくべきセある。
拳骨
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