2012年11月27日火曜日

第47回AMI公認AM東京セミナー・・・身体との会話195



2012年度のAMI公認セミナーも先週末の東京セミナーで全て終了した。年に6回のセミナーで福岡、大阪、東京と沢山の受講生が参加して頂き、毎回盛況だった。ありがとうございます。

受講生の増加に伴い国際、国内の認定者もふえ沢山のAM臨床家が誕生し各地で患者さんの信頼を得ていることは主催者側としては嬉しい限りである。

しかし、AM臨床家が増えることでいくつかの問題も出てる。認定を取得することで、満足感がでて認定者の向学心が失せてしまい勉学への努力をしないことである。

認定取得後の勉学が本来の臨床家として知識や技術のレベルアップになり、患者さんの利益にもなる。認定取得後からが本来のAM臨床家であるが、中には認定を取得することがゴールのように思って取得することで満足してしまう方がいるのが残念だ。

そのような方は、年一回の認定維持のための義務的なセミナー参加でいるので、適切でない技術のクセやCP,LODの間違いにも気づかず臨床を続けているようである。セミナーで参加することで間違いを指摘され修正することで安定した技術が保てる。

認定者の方はさらなる高見を目指し日々の臨床と合わせてAM臨床家としての深い学びをしていただきたい。学びには終わりはないはずである。強いて言えば、終わりは自分で満足した時に終わりがある。終わりは自己決定で向学心がきめる。


一年を通して感じたことはセミナーに出てきても少しでも何かを吸収して行こうとする姿勢と年に一度参加する義務で出てくる人との違いがある。その違いは認定取得にある。AM臨床を目指す人はまず、認定取得が目標になり取得ごは目標達成感があり、その先につながらない。

本来であれば認定はAM臨床家のスタートでゴールではない。認定取得の達成感で何を得ることが出来るのか? その得るものは自分のためか? 患者さんに得るものがあるのか?得るもので誰が利益を得るのか? 考えるところだろう。

また、認定取得後にスタートラインにたってから次のゴールは他から与えられるものではなく、自ら次のゴールを設定してそれに向かって精進すべきだろう。我々の仕事はゴールなき仕事であり。唯一ゴール(終わり)があるとすれば、それは誰が決めるものではなく自分で決めるものであるり、そのゴールは自己成長が終わるゴールでもある。

来年度も大方のスケジュールは決まっている。日程などはANJのホームページにUPされる。来年度は今年以上に内容の濃いものを提供したい。そのために我々スタッフもさらなる努力をしてセミナー活動、ボランティア活動と受講生と地域の患者さんと一緒に歩みたい。


拳骨

2012年11月1日木曜日

スキルアップ・・・身体との会話194




患者さんとのコミニュケーションは会話だけではない。オフィスの雰囲気や調度品などの環境やスタッフの顔の表情、所作、服装そしてパンフやチラシなどの案内文や写真、プロフィールの肩書きなど全てにおいていえる。

手技療法においては患者さんと直接、接触するのであるから当然のごとく触診やコンタクトの方法はもちろ「触れ方」は肌で感じるコミニュケーションである。この触れる行為は信頼関係が最も重要である。

信頼関係ができていないと誤解を招く行為になりかねない。今朝の新聞にも掲載されていたが心療内科か精神科か忘れたがカウセリング的な職業で女性の身体を検査目的で触れたと訴えられた。

裁判では薬の副作用で身体に浮腫が出ていないかを触診で検査をしたという申し分が通ってお咎め無しになった。頭をかしげたくなる判決である。いずれにせよ患者さんと施術者の関係は信頼関係が無いと成立しない。

また、最近こんな問合せもある。認定者の肩書きをHPや名刺、パンフに掲載、記載しているが関係団体のHPの認定者欄に掲載されていない。要するに認定者でないのにオフィスのHPのプロフィールに〇〇認定者といった肩書きを掲載している。

以前は認定者だったんだろうと思うが現在は認定ではない。患者さんは認定者という肩書きに信頼を寄せて来院する基準にすることもある。しかし、団体では認定者ではない。迷惑を被るのは患者さんである。

信頼関係を構築するのは時間がかかり、そう簡単には気付けないが壊すのは瞬時にして壊れる。信頼関係を構築する最も大切な間は、やはり治療の間である。この治療を通してのコミニュケーションが信頼関係を構築する最も大切な間である。

先にも述べたが、手技療法は大方は患者さんの身体に触れる行為が主である。この触れる行為は意外といろいろな情報が伝わる。言葉で言い表すことがでない感じる情報の伝達である。感じる情報は相手の気持や気分は勿論、何を考えているかもわかるかもしれない。

とても大切なふれあいである。手技療法と患者さんとの最初の触れ合いは触診が一般的である。施術者の触診の仕方で患者さんは施術者が技量も伺えるし、真剣に触れているかいい加減かを感じるだろう。

この触診も医療系の学校で学んだ機械的な触診はどう感じても機械を扱う触診や検査法で冷たさを感じる。施術者の触診で何を診るかで患者さんの感じ方が違ってくる。やはり、生命という血の通った生き物を診るのだから生命を診る触診を養うことが大切である。

機械的な型通りの触診はコミニュケーションツールとしては役に立たないし、患者さんと施術者信頼関係も成立しない。これからは生命的な生き物を診る触診の仕方を身に着けて患者さんとのこころの通ったコミニュケーションツールの一つとしてもらいたい。

今年度から始まったAMI公認セミナーの前の「臨床基礎プログラム」がその方向性を目指してきて、プログラムに変化を加えてきたことで内容が熟成されて、より生命的な診方である触診方に仕上がってきている。

このプログラムでは他の医療機関で教える機械的な触診法や検査法とは違って、臨床的に有効な有機的な身体の診方が学べるようになっている。現在の臨床を行なっている先生方が施術に行き詰まっている時に、身体を有機的に診ることで新たな臨床がみえるはずである。

触診や検査法は基本であるが同じ基本でも機械的に診るか、有機的に診るかで臨床が変わってくる。有機的な臨床を将来に見据えている先生方や現在もどうも患者さんとのコミニュケーションがうまく行かない先生方も是非受講していただきたいプログラムである。


詳しい情報はこちらを参照。
http://www.activator.gr.jp/category/1772740.html


拳骨


2012年9月12日水曜日

身体との会話123・・・・・AM大阪セミナー



先日、今年最後のAMI公認AM大阪セミナーが終わった。今回も沢山の受講生が参加されて有意義な時間を過ごせた。小生も沢山の学びができて成長できたセミナーでもある。AMI公認セミナーも残すところ東京の1回のみとなった。認定を更新される先生方は忘れず参加してください。

今回の大阪セミナーで認定試験を受けた方の合格率が悪かった。認定試験にチャレンジしてくれるのはいいのだが・・・・今回の大阪セミナーの筆記試験は100%の合格率であった。筆記試験はできても実技がいまいちである。

認定試験を受けるために実技を練習しても短期間では身につかない。CP、LODや触診などができていない方が多い。AMの臨床家を目指すのであれば認定試験の合格だけを目的でやっていたのでは臨床では使い物にはならない。

ある意味、臨床で使いこなせて次のステップのために認定試験を受けるような気構えでないと受からないだろう。臨床で使い込んで試験を受ける。そのほうが安定した技術が身につくし臨床の応用が効く。

もひとつは認定維持のために年一組の方の間違ったクセが目立つ。さらに悪いのはCP、LODの間違いや勘違いをしている方が目立つ。実技でも他の先生方の施術をみていないで、無駄話をして参加していない方が多い。

年一の同窓会みたいな感覚で楽しんでいる。ここは同窓会で楽しむとこではなく施術の議論をしたり感じたことを話し合って楽しむところである。セミナー参加の目的意識が低すぎる。その多くの方が国際基準の学位保持者であり、ベテランの範疇に入る先生がたである。

同じ国際基準の学位保持者の先生方が全てそうであると言っているわけではない。このような意見を述べている先生もいる。是非紹介したい。



「昨日、今日とアクチベーターメソッドカイロプラクティックテクニックのセミナーに参加していました。
今回でこのセミナーも14回目の参加です。
初参加の方に「なんでそんなに参加するんですか?」と聞かれた。
テクニックセミナーって1回参加して、やり方を教わったらもういいやという人が多いです。
でも、例えば日舞を始めて師匠に14回指導を受けてそれでベテランとは言えない。
また空手道場で初心者が数年道場に通ってる人に、なぜ未だに通ってるんですか?という質問はナンセンスです。
趣味の世界でもそうなんですから、職業として学ぶのであればより真剣になるのは当然だと思うのですが…
現に今回のセミナーで自分の中で発見がありました。
有名な芸妓さんが言ってました。
芸事を学ぶ時は、徹底的に師匠を真似る。それでも最終的には個性がでる。だから、初めから個性を許すと最終的にはまったく別物になるのだと。
頑張らねば(^^)」

(渡辺賢治B.C,Sc FB投稿より抜粋)



拳骨

2012年8月7日火曜日

身体との会話122・・・・・統合医療





統合医療のあり方の検討は? エビデンスがあるものを入れてないものはチョット待てよ・・これもある意味では正論かもしれない。また、医師がコントロールできる代替医療を統合医療に入れる。そういう見方もできる。

原発の是非をめぐって市民との討論をしたが、下工作で原発推進の原発従業員が入って意見を申すことがあったが、さほど変わらない検討である。そもそも統合医療は西洋医学では補えない医療を補完的に協力して補って患者利益を目指すものである。

現代医学や代替医療の業界発展のためのものでもない。それ故、医師のコントロール出来る範囲とかエビデンスがあるものだけとか本来の目的から軌道がずれているように思える。まして、医療業界のいがみ合いでもないはずである。。

世界的にみても現代医学は市民権を得ていて主になって患者利益を行なっているのは明らかで否定するものでもないし、緊急医療の外科や生命を機械的に診て詳細の細胞レベルまで調べて病気を解明することには長けている。代替医療にはできないことである。

しかし、できないことと分野が違うことを理解しないで、同一的な目線でみると医療界の違和感が生じ、協力共存することより啀み合いとか対立的になってくる。やはり、患者優先でみたら協力共存が理想である。互いにできるものとできないものがはっきりしている。

できるものとできないものは臨床の立場にいる医師も施術者も理解しているはずである。しかし、現代医学はエビデンスや科学を盾に土俵に乗ろうとする。本来、エビデンスや科学で解明できないものが代替医療であり、相反するものである。

実際の臨床ではエビデンスや科学に基づいて医療を行うことで再現性や医療の正当性を証明をして生命に外的に手を加えて治癒させているかのように思っている。しかし、手を加えることは必要だが、手を加えた後の生命力の如何で治るか治らないかが決まる。

癌の摘出手術の後の生存率や治癒力などは典型的な本人の自然治癒力である。これは本人にが持っているものであり、外から手を加えるものでもない。さらに、手を加わえることの限界がある。勿論、代替医療とて同じである。そこに気づくべきである。

先日もFbを賑わした記事があった。整体かマッサージなどの無資格の施術で患者さんの身体的に外傷を与えたり、苦痛を与えたりする苦情が後を絶たないという記事である。このことは資格云々や知識、技術の教育もあるかもしれないが、最終的には施術者の資質の問題である。

記事は代替医療の無資格云々を言っていたが、社会的に医療被害は代替医療の分野だけではない。現代医療の世界でも薬害や手術のミス、投薬のミスなど数えたらキリがないくらい多発している。この事実と比べたら代替医療の事故は少ないはずである。こんなことを書くと白黒判断になってしまうが、事実は事実として謙虚に受け止めなければならない。

こんな記事もある。


一般社団法人「国家ビジョン研究会」が20日に開いたシンポジウムでは、医師や看護師らが参加したパネルディスカッションが行われ、統合医療や看護、臨床研修制度など、幅広いテーマで意見が交わされた。シンポジストからは、「西洋医学は限界に達している」との声が上がり、薬に頼らない食事療法や、患者を内面から支える看護ケアなど、自然治癒力を高める治療の効果を見直す必要があるとの意見が出た。
写真ニュース
活発な議論が交わされたパネルディスカッション(20日、衆院第一議員会館)
 東京都新宿区の丹羽クリニック院長で、同区医師会理事の丹羽正幸氏は、治療法におけるパラダイムシフトの必要性を繰り返し強調した。開業後、4万人以上の難治性疾患患者を診察してきたという丹羽氏は、西洋医学だけの治療法が限界に達しているとした上で、「自然治癒能力がこれからのテーマになる」と指摘。体の各組織や精神までを多面的に治療する「融合医療」で、可能な限り医薬品を使用しないことが望ましいとした。

 また、社団法人「生命科学振興会」理事長の渡邊昌氏は、日本の医療費が増え続ける中で、経済的な観点から「食べること」の意義を指摘。糖尿病や高血圧など生活習慣病の治療では、食生活の改善の方が、医薬品の投与よりも効果が高い場合がある上、それが医療費の節約にもつながるとし、「患者が自己の治癒力を知ることが大事だ」と述べた。

■「日本版ACGME」の創設求める意見も
 一方、臨床看護学研究所の所長で、日本赤十字看護大名誉教授の川嶋みどり氏は、患者の高齢化や病院の在院日数の短縮化などで、看護の現場が危機に陥っているとし、「(患者の)手に触れ、癒やし、慰める方法から遠ざかっている」との懸念を表明。その上で、患者の生活を支える「療養上の世話」の重要性を指摘し、厚生労働省が検討している看護師の認証制度については、改めて反対の立場を示した。さらに、看護職員の配置人数によって入院料が決まる現行の診療報酬体系を改め、費用対効果や患者のQOL(生活の質)に基づいた看護の報酬に見直すよう求めた。

 このほか、野口医学研究所理事長でハワイ大教授の町淳二氏は、米国での臨床経験から、日本の臨床研修制度の問題点を指摘した。町氏は、米国では1980年代に、医師会の主導で「ACGME」が設立され、卒後の臨床研修の認可制が導入されたことを説明。学会が認定する日本の専門医制度では、臨床レベルの「標準化」が進まないとして、研修施設の認定を行う第三者機関が必要だとした。【敦賀陽平】
http://news.cabrain.net/article/newsId/37724.html

出典:医療介護ニュースより

これも医師からみた臨床的な事実である。やはり限界を感じていることは患者さんの利益にならないことを示唆している。これらの事実を真摯に受け止めて現代医療と代替医療の互いの分野をわきまえて協力共存をしていくことが患者優先のあり方であると思う。

拳骨


 

2012年7月26日木曜日

身体とのの会話121・・・・・AMI公認AM東京セミナー2



先日のAMI公認AM東京セミナーの気づいたことのフィードバック。何と言っても基本の忠実さにかける。CP、LODいずれもいい加減である。すべての人ととは云わぬがほとんどできていない。さらに、下肢長検査の評価がいまいちである。

もうひとつは時間内で効果を出して仕上がっているか、一人の患者さんにAMだけで30分以上も掛けて臨床で使っているのではないかと思えるようなのんびりして治療をしている方がいる。各先生方の治療スタイルがあるので時間は自由であるが、長ければいいというものではない。

CPとLODは一度間違って覚えると、誰かに注意されないと気づかない。一年に一回受講の方は一年間間違いに気づかない。一年に一度の方がセミナーで間違いを指摘されないと2年も気づか凪いでいる方いる。中には3年、4年と・・・

特に認定者の方に多い。今回も受講数15回以上の先生を見させて頂いたが15回以上間違ってCPとLODを行なっていた。この先生は謙虚に指摘を受け止めて修正して喜んでいた。普段の治療では全く間違いに気づかない。指摘してくれてよかったとコメントを頂いた。

本来のAMI公認セミナーは卒後教育ということでスタートしたので、すでにカイロ大学のカイロの基礎はすべてマスターしている事が前提である。CPもLODもマスターしていることが前提であるためにAMI公認セミナーではCP、LODを事細かに教えることがプログラムには当然入っていない。

国内の受講生は鍼灸や柔整の先生が受講されていので、それぞれのバックボーンが違い、カイロの基礎的な教育ができていないことがあり、AMI公認セミナーではCP,LODを教えていたが、本セミナーの実技時間は下肢長検査などのAMに関する実技が重視されるてくる。本セミナーでCP.LODを行なっていると下肢長検査が進まない。

そこで、今回からCPのとり方の触診法や日頃の臨床で役立つ筋力検査を学ぶために臨床基礎プログラムを設けて受講していただくようになった。すでにカイロの基礎を学んだ方も再確認をするためにも、勿論、鍼灸や柔整でカイロの基礎がない方はぜひ受講して触診法や筋力検査を学んでほしい。

http://www.activator.gr.jp/category/1485545.html#kiso 臨床基礎プログラムはこちら参照


今までの認定試験は型が出来れば臨床で効果を出さなくてもそこそこ合格してしまう。やはり、臨床で使って効果を出すことが求められるのであるから、臨床で使っていなくては意味が無い。通常、AMを臨床で使うと10分から15分あれば十分である。

試験の時に検査してCPを探してLODを決定してから強制まで1,2分なれば十分である。実査に臨床ではトータルで15分くらいであるからひとつの検査強制は1分もあれば十分だ。真剣で合格する方は検査、矯正に無駄な動きがない。アイソレーション、PT,STを確認するのに数十秒である。5分も10分もかからない。

1分以上もかかっている方は普段からの臨床で無駄な動きが多く、正しい検査やCP、LODの確認ができず迷っている方である。はっきりいって合格は難しい。臨床でも長い時間を掛けて丁寧すぎるほどの時間をかけすぎている。

臨床でも10分から15分くらいで治療を終わるような訓練をするといい。長く掛かる人は丁寧ではなく無駄な動きが多いということである。時間管理も治療効果を高める要素になる。


拳骨




2012年7月23日月曜日

身体との会話120・・・・・AMI公認AM東京セミナー1



AMI公認AM東京セミナーが週末に行われて皆さんのご協力を得て無事終了した。今回は同じ日にAMI社でもインストラクタセミナーが行われて世界各国から100人以上のインストラクターが出席し、日本からは保井ディレクターが出席した。

今回のセミナー初日ではスカイプでDr.Fuhrからオープニングメッセージというビッグなサプライズがあった。会議で忙しい中、時間を割いて東京セミナーにメッセージをいただけるとは嬉しいことである。また、Dr.Fuhrは日頃から日本の受講生を気にかけている。Dr.Fuhrの優しい人柄が伝わってくる。

二日目に、保井ディレクターからフエニックスでの会議の内容や研究発表の内容をスカイプで報告があった。その中で印象的だったのは米国でも行動分析を行なって患者さんのニーズに合ったような対応が望まれると言うようなことであった。

奇しくも日本でも患者教育で患者さんとのコミニュケーションを重視した評価法を行なっている。米国はカイロプラクティックの発祥地で、カイロも機械的な思考が多く、患者さんとの関係も事務的なことおように思えるが、これからはDrと患者さんとの関係も密になりコミニュケーションが重視されるようになってくるのかもしれない。

もう一つ印象的だったのは、やはり「アクティベータⅤ」である。うわさは聞いていたがデザインや駆動法が電気かエアーか想像してたのとは違っていた。いい意味で予想を裏切られたようだがかなりまとまっていた。コードレスといういうのも優れている。国内販売が楽しみである。


拳骨




2012年7月2日月曜日

身体との会話119・・・・ 心身条件反射療法研究会ベイシック2




心身条件反射療法のベイシック2の研究会に参加した。今回も定員を越える先生方が参加されて熱心な眼差しの中で無事終了した。開催当初から参加させて頂いているが、創始者の保井D.Cの研究成果が成熟されて、今後の進展の第2段階に移ってきたように思える。

この進展も現代の医療状況や社会情勢の変化に常に対応して、その次代のその時間のニーズにマッチした代替医療のあり方を提案し、更に先行きの変化を予測しての流れの中での変化発展であると思う。

心身条件反射療法は、心と身体の関係性を診ていくが、こころの問題の原因を探しではない。心と体の関係性というと、こころの問題にクローズアップされるが決してそうではない。機械的にはこころの問題の原因、すなわちストレスに対する考え方などを問題としてしまうが、そこを何とかしようというものではない。

例えばこんな例がある。6月27日の読売新聞の人生相談のコーナーにこんな投書があった。家族旅行を毎年計画して、旅行の当日になると、御主人はここ数年、毎年熱が出るという症状で、専門医に受診をしたが改善せず、どうしたら良いのかという相談である。

その答えをした専門家は精神医科の専門家である。その方の回答は、病理的なものではなく条件反射的に旅行というものがストレスになり自律神経が乱れて熱が出る・・・旅行に行ってもにとり部屋で窓でも眺めて、それが自分の旅行スタイルだと思っていっればいい。これが答えである。

病理的でないなら、正にストレスが影響しているだろう。切り替え方もその切り替えでいいと思う。意識的にはこのような回答がベストかもしれない。現代医学のモデルはこれで正解だろうと思う。心身条件反射療法では、さらに深く探って、潜在意識レベルでどんな変化があリ、その変化が脳の誤作動を起し、その誤作動を起こした脳が各系の乱れを作って各器官の誤作動、つまり症状を引き起こしていると考えられる。

潜在的な分野に焦点を当てて潜在的な脳の誤作動を修正することが心身条件反射療法である。一般的に云われるのはストレスを自分でどのように感じて、どのように答を出すかである。その答を自らの意識で出しているということで、意識を出している意識的な心に焦点を当てているのが現代医学モデルに思える。

現代医学的なみかたと心身条件反射療法のみかた、意識をみるのか無意識をみるのか、そんな違いがあり、決して対するものではない。根本的に焦点の当てるところが違うのである。よって意識的なみかたの専門家も存在し、無意識的なみかたの専門家も存在していいと思う。

意識と無意識は常に葛藤をしていて、その葛藤が無意識と意識のズレが生じた時に誤作動を起し、それを繰り返して行くことで条件付けされて無意識で同じ条件で誤作動を起こすスイッチが入ってしまい、神経系の乱れが生じると考えていいと思う。

この誤作動をエネルギー的に診ていく専門家が心身条件反射療法であり、焦点もこの無意識の誤作動に当てて行くべきで、決してその人の心の問題に焦点を当てて原因を追求することとは違う。心の問題に焦点を当てて原因探しをすると患者さんを追い詰めることになる。

研究会に参加されている先生方には、この部分のすみ分けが難しい方もいるだろう。研究会の講義のなかでも幾度と無く説明をしているが、実際に治療を進めていくうちにこのことを忘れて焦点を無意識の誤作動ではなく、意識的な心の問題を焦点を当ててしまうことは避けたい。

これからの心身条件反射療法が当たり前の治療として発展してく過程においては、しっかりと施術者が理解して、社会的にも誤解がないように発展して行くことが理想である。また、このようなことを理解するには、創始者の保井D.Cの哲学的な背景を読み解いていく事も大切である。

拳骨

2012年6月5日火曜日

身体との会話118・・・・・心身条件反射特別上級研究会


3日、4日と福岡で心身条件反射療法の上級認定者特別研究会があった。上級者と言うことで参加された先生方はいずれも知識、技術はもとより人間力も成熟した方ばかりであった。小生が見習うところ大である。

上級レベルの先生方の集まりであるために内容も濃く心と身体の関係を鋭く追求した項目が多かった。この心身条件反射療法の創始者である保井DCは、この施術方法を社会的にもごくごく普通の当たり前の施術方法として、気楽にマッサージでも受けるような感覚で普及させたい思いがある。

したがってこの施術方法は特別な能力を持った人だけができる特別な施術ではなく、確かな学習と正しい使い方を学んだ人であれば誰でもできるものであり、不思議な不可解なものではない・・いわゆる「ゴッドハンド」とか「魔法の治療」そんなものでは無いことを強調して研究会を行なっている。

手技療法は理念や方法が多種でり、裏付けがとれたもの根拠に基づいたもの、あるいは感覚で感性で行うもの様々である。根拠や科学的裏付けがありかつ理論的にもとづいて技術が成り立つことが理想であり、社会に認知されて初めて普及するものと思える。

まだまだ手技療法の科学的根拠は貧しいのは認めざる得ないが臨床と同時進行していくにはやはり臨床の現場を無視することもできない。根拠のないものだから臨床では使えないでは無く、根拠が明確でなくても再現性のある結果は使っていくべきである。また、再現性のある結果は根拠にもなる。

今回の項目に「遠隔治療」があった。このあたりは胡散臭い眉唾ものに思われても仕方ない。と言うより信頼性や根拠がないに等しい治療方法である。下手をすると社会的にも誤解されて問題になる可能性はある。しかし、あえてこの項目を設けて受講生に紹介するのは再現性があり、誰でもできるという根拠があるからだろう。

誰でもできるということは特別なものでもなく普通のものである。ただし、正しい知識と技術の習得は必要であり、その部分は誰でもではない。それなりの学習が必要でり、もっと大切なのは患者さんと真心の通ったコミニュケーションができる施術者に限られる。

真心の通ったコミニュケーションも当たり前のように思っているし、普段そんなことを気にすることもないだろうが、意外ととれているようで取れていないことがある。施術者の一言で傷つく患者さんもいる。この部分は遠隔治療や施術とか関係なくどの業界においても人と人の関係性がなくてはならない人間力である。

患者さんを利益を上げる商品として見ているとラポールは形成されない。ラポールのない施術は成立しない。当たり前のようなことができない事が多い。施術者の何気ないアドバイスや根拠のない説明で治るものも治らない、心配や不安をあおり症状を悪化させたりしていることに気づかない方もいる。

正直な話、患者さんで苦手な患者さんが居ると思う。小生も居る。苦手な患者さんがいるうちはコミニュケーションが取れていないと思ったほうがいい。どこかでミスマッチが起きていてどこが原因だか気づかない。そんな時はセルフコーチングしたり、専門のコーチからコーチングを受けると気づくことができる。一度お試しあれ。

話を戻して、今回の遠隔療法は受講生全員が体験して全員ができることが確認できた。よって、眉唾ものでは無いことが少し解消された。これも参加された受講生のレベルの高さや知識の高さ、意識の高さ・・・人間力の高さがあるからできることと思う。

誰でもできることは特別なことではないが、一般的でないことへのチャレンジが成功すると人間というものは知らず、知らずに内なる変化をする・・・特別、慢心、傲り・・・私はそうならないと思うのは人の常であり、そう変化している自分に気づくはずもない。だからこそ変化していく。

今回受講された先生方は人間力を備えているので間違いは無いだろうが、再確認をする場から離れたときは内なる変化が現れた時だろう。そう言う小生も同様である。戒め戒め!!


拳骨


2012年5月23日水曜日

身体との会話117・・・AMI公認AM大阪セミナー




第44回AMI公認AM大阪セミナーが20日と21日行われた。満席の受講生の参加があり熱い学びの中で終わった。この時期に沢山の受講生の参加で満席になるのは憂いしことでもあり、受講生の希望に応えられるような内容を提供する責任も感じる。

AMI公認セミナーはAMI社のプログラムを忠実に提供している。更に、受講生が何を求めているか、何を求められているか常にアンケートを参考に臨床という現場にあったものを提供していくことを心がけている。

参加する動機は様々であるが、熱い学び心は同じである。カイロプラクティックを構造的なイメージで捉えてAMI公認セミナーに参加すると、勝手が違ってくる。構造からアプローチとは違うので、どうしても比較してしまう。

自分の思考にインプットされた情報は整理されて刻まれている情報を信じることがエネルギーになりアウトプットされて行動につながる。この情報の整理は自身の経験や環境、思想が整理する。このことは信念や価値観を形成するうえで重要な部分である。

一度、形成された信念や価値観を変化させるのは、そうたやすく変えることはできない。それを変えることは自己否定にもなる。存在感を左右するものであもある。これは知識や学問でも同じである。一度教育されたものは自己を形成する核になる部分でもある。

この教育が信念や価値感を形成するが、価値観で冷静に見てみると何か気づくはずである。価値感と価値観は意識、無意識の違いでもあり、この対峙する「カチカ」を自問自答すると更に深い気づきが得られる。

この「カチカン」に境界線を引いてしまうと「分」を作ってしまう。この分は大切でもあり窮屈でもある。日本語には「分」に関わる言葉がある。「身分」「分をわきまえる」「分相応」「知足安分」「大義名分」・・この分はわれわれの業界にも言える。

同じ医療、身体の健康を扱うものでもそれぞれの専門分野がある。この分は文化の違いでも異なってくる。古くは江戸から蘭学と漢方学の分の違いもある。当時からいがみ合っていたようだ。こっちのほうが優れている、そっちが劣っている・・

純粋に健康をみるのであれば分け隔てなくお互いの垣根を取り払い協力してみていくのが理想である。どの業界も類似業種との関係を分をわきまえず一線を超えてズケズケ入って来ると感情が働き、抵抗するようになる。

セミナーに受講されている先生方もそれぞれのバックボーンがありその分野の専門家である。あえて患者さんの利益を考えて他種の技術を学ぼうと努力している姿は素晴らしい。この時の専門分野から一線を越えることは社会の役に立つことである。

分を越えることと、わきまえないことでは違いがある。分をわきまえて一線を超えて他種の分に入り込むのは大きな利益が生じる。なんといっても患者さんが大きな利益をえることになる。西洋医学の専門家、東洋医学の専門家、カイロプラクティックの専門家、鍼灸の専門家、柔整の専門家・・

分をわきまえて分を超えてくるが学ぶ謙虚さには差別はない。まして、学ぶ理由が患者さんの利益という志が同じであれば、何ら問題はない。


拳骨

2012年5月3日木曜日

身体との会話116・・・ICC国際コーチング6



最近の気づきは人生を考えさせる気づきがおおい。更にその気づきが大きく、深い意味があることに驚かされる。臨床を30年もやっていてなぜそんなことに気づきもせず、深い考えもなくやっていたのか恥ずかくなる。穴があったら入りたいということはこのことだろう。

前回に患者さんとの間のとり方や居心地の良さを書いたが、その背景にある気づきを得た。実に当たり前のことで、日々考えもしないが深く考えれば深い答えが見いだせるかもしれないし、軽くか考えれば軽い答えが見いだせるだろう。本人次第だ。

小生の人生には生活もあり、仕事もあり、環境もある更に細かく言えば家族関係、人間関係、金銭関係全てにおいて人生である。自然環境に癒されることも人生であるから草木の芽吹きや鳥の鳴き声までが人生の一部である。すなわち感性も人生である。

意識的に計算高く生きていくことや自然に癒される感性的なことも、無意識的な人生感である。ここで人生感と人生観が出てくる。この「感」と「観」と出は意味合いがかわる。感は正に感情しか生まれない。すなわち人生感は本能的な感情の部分で無意識といえる。本音の部分とも言える。

人生観は、多くの出来事を理性で解釈し理路整然と情を受け入れて容認し、苦難に立ち向かうエネルギーにもなる。私たちは人生観と人生感、すなわち意識と無意識の間で自問自答をしていろいろな気づきを得て、日々の問題や悩みを解決している。

その意識と無意識の間に揺れながら日々臨床を通して、患者さん向き合っている。その向き合いの中で患者さんの健康とどこまで関わっていけるのか? あるいは、関わっていくべきなのか? 悪ァっていいのか? 関わってはいけないのか? 今更そんな事言われなくても・・・と、言いたくなるが解っているようでわかっていない。

分からなくても治療は成立するだろうし、患者さんとのラポールも気づくことはできるだろう。今更と思うが、しかし、これを考えると仕事の価値観や治療の価値観にも変化が表れるはずだ。関わることは責任が発生する。この責任は仕事を通して、あるいは、治療を通しての人生での責任でもある。

この責任も患者さんとの関わる深さで重くもなり、軽くもなる。関わる方の腹で決まる。さて、もう一度患者さんの健康にどこまで関わるのか考えてみる。オフィスにら医院して痛みが取れればそこまで。その時の一時的な関わり方。それもよし。

臨床30年もこの地でできることはそれなりに地域からの信頼があると思っている。その信頼を得るのも患者さんの健康に関わってきた安心や頼りにされていることになると思う。この信頼を得ることはオフィス内の一時の出来事に関わることではできない。地域の皆様の健康と一生関わっていくことでできると思う。

当然、責任は重くなると同時に間を取り間違えると気づかないうちに深みにはまり、抜けなくなり関わりが施術者依存のコミニケーションが形成されて、更に責任の所在が施術者にのしかかることになる。良し悪しである。深く考えれば深い答えが見いだせる。浅く考えれば浅い答えが見いだせる。


拳骨




2012年4月26日木曜日

身体との会話115・・・ICC国際コーチング養成講座5



ICC国際コーチング養成講座はとりあえず終わった。コーチング養成講座を受けてから何が変化が出たか?これほどまでに価値観の変化や思考のクセに気づいたことはない。大げさかもしれないが人生感の居心地が良くなった。

小生の一番苦手とする人との関わり。その苦手なもので商売しているのだからお笑いものである。それ故手技療法という特殊な世界で技術を売り物にすることだから、勤め人の営業とはチョット違うので、人付き合いができない小生でもできるだろうと思いつつ30年が過ぎた。

手技療法ということで手技療法もいろいろなテクニックセミナー出て結構学んで、身につけた。技術屋と言うのは面白いもので、技術が身につくと結果が出る。そのことで治療が面白くなる。いつの間にか医療という世界観から機械的な技術になっていた。時には他の先生より上手くなろう、なんでも治せる。そんな思いまで芽吹いてきた。

技術が上達すればするほど治療は面白くなり、毎日の臨床が楽しい。結果も伴い手技療法の素晴らしいさや、これまでに人間のやることがいい結果が出るのか、自分でも驚くほどのものであった。なんで治るかななど正直解らないが、あるいはわかっていても推測の域ををでない。

自然治癒力、自然治癒力とわけのわからんことを唱えて、結果オーライであれば満足していた。この治ることに患者さん自身の「思考」が関与している事がわかった。わかったと言うより、実感した。更に、メディカルDrや生物学の賢威のある先生方の本にも同様のことが書かれている。

この実感できたという例は臨床において多々ある。小学生のオスグッドで動けないのが話を聞いてやることで歩けるようになったり、難治なしもやけもストレスを解放するだけで治ったりと・・この結果は、治療技術というよりかん自らの思考による「治し」であると実感できる。

ここまで来ると治療の面白さが倍増し、なんでも来い!みたいな臨床になる・・・が、しかし、時に患者さんと対していると治療は面白いのだが、なんとなく違和感があったり相性が合わなかったりと居心地が良くない時がある。結果が出るのでそのままであるがそのような患者さんを治療した後は疲れる。

「好きな仕事は長続きする」よく言われる。面白いから好きなのか、好きだから面白いのか・・何れにしても長続きする条件の一つになるだろうが、必ずしもそうとは言えないのも事実である。最近、自分がコーチングを受けて気づいたことは、患者さんと一緒にいて「居心地」はどうなのか?

「居心地」など考えたこともない。「居心地」などは考えることより感じることだ・・感覚で受け止めていたので考えることなど全く浮かばない。トレーナーの質問で、おや?っと思った。実際の臨床を振り返り、治療中の自分を客観的にみたら、治療中の顔がこわばり、一生懸命、ありとあらゆる技術で直している自分が見えた。

自分がこんなに緊張していたら患者さんも緊張している事が見えた。この緊張感がお互いの居心地を悪くしている事に気づいた。「居心地」など考えても見なかったが、あらためて見つめ直したら大切な事があらためて気づいた。

「居心地」の悪さは気づかないうちに、患者さんが合わない、結果が出ないと患者さんの原因にある・・など原因を相手に求めたりするようになる。「居心地」の悪さは作っているのは自己にあることに気づく大切である。

「居心地」の大切さは理解できたが、さて「居心地」を良くするにはどうしたものか?これも大きな課題である。一口にこれだ!と言い切れるものは現在のところ見つかっていない。複雑なエネルギーの波長が合わないのだろう。これを合わせる事が「居心地」を良くすることだろうと思う。

この「居心地」の改善度を評価することで、どれくらい「居心地』が改善したか確認することも大切である。その確認をどうして行うか?これもまた難しい。感覚で捉えることも重要だが、どれくらい改善したかを客観的に確認できることでゴールに向かって進んでいるか過程状況がわかる。

機会があったらセミナーなどで施術前後の評価に取り入れてみたい。


拳骨


2012年4月17日火曜日

身体との会話114・・・ICC国際コーチング養成講座4



昨日はICC国際コーチング養成講座の最終講座で筆記試験があった。できは??後は7月までに2症例の報告とセフルコーチングの提出で合否が決まる。試験はさておき、今回の講座でコーチングの奥深さを学ぶとともに人間の無限大の可能性に驚きを感じた。

コーチングの勉強のためにいろいろな本をみつけて読んでいた。コーチングやNLPのマニュアル本は沢山出ているので内容に関してはどれも遜色ない。コーチングは人と人の関係性に成り立ている。そこで「関係性」に関わる本を物色していて、ある本が目についた。

「思考のすごい力」ブルース・リプトン著・・この本はコーチングに役立つことを目的にさがしていたら、不思議な導きでPCRTのエネルギー治療に参考にもなる。やはり、コーチングやPCRTは関係性で心身の変化が生まれのかとつくづく感じた。

この本の著者は細胞生物学博士(ヴァージニア大学)で、ウィスコンシン大学医学部などで教鞭をとったのち、スタンフォード大学にて、細胞膜に関する画期的な研究に従事。遺伝子は単なる生物の設計図にすぎず、意識や環境が細胞をコントロールし、遺伝子のふるまいを変えることを明らかにし、エピジェネティクスという新しい分野の先生である。

内容は、「細胞をコントロールしているのは、細胞核ではなく、環境である」と言っている。そして、50~70兆個の細胞のコミュニティーである人間をコントロールしているのも環境であると。人間にとっての環境とは、勿論、居住環境、職場環境といったものもあるが、自分の認識すること、自分の考えていること、つまり、自分の信念が私たちをコントロールしている。

その自分の信念、すなわち、自分が何を信じているかにより、環境から受け取る信号が変わり、その信号が私たちをコントロールしているらしい。

コーチングを学んでいる時にこの本を読んで印象に残った一節を紹介する。

「人間というものは、間違った”信念”にありったけの情熱を注ぎ込み、不屈の頑張りで執着し続けるものだ。人一倍合理的に頭が働くはずの科学者だって同じだ。私たちに、これほど強い信じる力があるのは、脳を中心とするよく発達した神経系を持っている身体。

一つの細胞は、環境に対してかなり反射的に、単純な反応をする。一方、人間は複雑な神経系で環境を感知するので、環境に対する反応はずっと複雑だ。人間の心は単独で、環境のとらえ方も単純ではなく、環境をどのように知覚するかを自分で選ぶことができる。つまり、”信念”は変えることができ、信念を変えれば人生を変えられるのだ。」


人は変化する・・・性格は変わらない、変えられない、生まれつきだ・・遺伝子に操られていると持っていたものが実は単なる環境や周りの情報が自己の信念に頑なに守られて、その信念をその人の個性を生み出すエネルギーにしていたようである。

信念は環境、生活習慣、経験などが潜在意識に落とし込まれて自己を守るためのルールを作り、そのルールは本人の足かせになり身動きが取れず窮屈は人生を歩んでいる。しかし、その信念も変えることができるとこが証明されている。

実際にコーチングを受けることで自己を制限している信念を見つめなおし、その背景に何がるのか気づくだけで、頑なに持っていた足かせとなっていた信念が外れる。コーチングはクライエントに自ら考え、気づかせることである。

メディカルモデルの患者さんがDrに解決策を求める依存系ではない。あくまでも自立系の解決さを自ら選択することによって大きな気づきができる。この気づきで信念が外れる。人間は変わることがでる。変わった人間は無限の可能性を持っていることに気づく。

PCRTも生命の無限の可能性に気づきを得て、自ら生命体に変化を促すことで、細胞レベルでの変なが恒常性を正常にさせ健康へと導くと考えることができる。コーチングも思考的なレベルで生命の変化を促し、心のありように変化を求めて自らの可能性を引き出す。





拳骨


2012年4月3日火曜日

身体との会話113・・・ 心身件反射療法研究会

本年度の心身条件反射療法(PCRT)Basic1の研究会が行われた。多くの受講生が参加して熱気に包まれて充実した内容で出来た。常に進化して来ているPCRTも当初から比べたらだいぶ削ぎ落とされてシンプルになった感がある。

初めて受講される先生は「あれでシンプル?」と頭をかしげるかもしれないがシンプルになっている。更に、ハード面とソフト面を混同しないようにBasicとAdvanceに分けて講義を進めていくのも混乱が無くアンる。

先ずはハード面をしっかり押さえ、それからソフト面・・この使い分けができると臨床にも幅が出て患者さんの多様化したニーズに答えられる。昨日の研究会で行われた実技で気になったのはPCRTは「エネルギー治療」といことを忘れて機械的に見ていることである。

エネルギーというように視覚化できないものを評価するわけだから機械的に見ても先に進まない。ハード面をメディカルモデルのように見てしまうと、既存の西洋医学の概念と同じで、生命体をエネギーにより生かされれている「生命」を否定するようなものである。

ロボットの時代がきて、人間の各臓器が人工的になってきた時にお世話になる。その頃の西洋医学は電気屋さんか機械やさんがお医者さんに取って代わっているかも知れない。それまで生きていわけでもないか。

さて、受講生の実技を見ていると出来る人と出来ない人がいる。この差は? 経験もあるがやはり人間を生命体としてエネルギーで営んでいる事を忘れていることに尽きる。何度も言うように機械では無いので、数値化するのは難しい。

可視化して、数値化して・・このデータを評価して治療につなげることができればいいが難しいことである。PCRTは神経反射を評価すので、更に難しくなる。この神経反射を感覚で感じることが必須である。

AMも同じで下肢長検査も長さだけで判断するより、筋のトーン・・すなわち神経の緊張を見てい事が上達の早道だ。PCRTはAM同様に神経の反応をみて、同様に振動刺激を加えるものであるために構造的や機械的に見てしまうとしらずしらずに気がついたら患部の痛みを追いかけて、構造有りきの治療に陥りやすい。

生命体を機械でみるか、エネルギーでみるかこの違いが上達の違いに表れる。医療の基礎教育は西洋医学であるために、当たり前のように人間を機械的に診ることになる。確かに人間の身体を見えいく上では解剖や生理学など基礎がしっかり身についていないとできないのは当たりまであるので基礎医学は重要である。

人間を機械的に見て、患部を切り取ったり、症状を悪化させないように薬治で行う専門家は西洋医学が得意とする分野で、我々が西洋医学的に患者さんを診ても事が進むわけがない。西洋医学の得意とする専門分野に代替医療が西洋医学的な見方で立ち入ることは必要ない。西洋医学の専門家に任せるべきである。

PCRTの臨床は神経反射を診て、どのように患部との関わりがあるか原因をエネルギ^-的(異常なエネルギーブロック)にみて、以上は波長を正常にすることであり、それ以上のことは必要ない。このエネルギーは身体内部は勿論、外界のエネルギーも関係してくる。

磁力、光、水、土・・食べ物,飲みも・・思考、人、・・全てがエネルギーになるもので、このエネルギーは情報(周波数)として五感を通して身体に関わってくる。その情報のか変わりが合わないとエネルギーの周波数合わなくなり身体内の神経エネルギーの乱れが起き不健康になる。

このことがしっかり頭に入ってないと、患部のみを意識して機械的にみて、そこを何とかしようとしてしまい迷路に入り込んでしまうと先に進まなくなる。目先のことにとらわれず身体を「生命エネルギー」としてみることがPCRTの上達法である。


拳骨

2012年3月16日金曜日

身体との会話112・・・ICC国際コーチングモジュール3

先日ICC国際コーチング養成講座に参加した。モジュール3で大詰めを迎えています。残すは後一回です。実際に代替医療の分野で臨床を行なっていると、最近の症状は慢性的な症状が多い。筋骨格系なども長年の肩こりや、腰痛や膝痛などが多い。

西洋医学的に考えると、肩こり、腰痛は整形外科、便秘や下痢は内科といったように一般的な常識になっている。症状を分類して専門的にみるのでそれでよい。しかし、1つだけの症状ならそれでいいが、複数にわたって抱えている面倒になる。

最近のTVなどは健康志向が強く、必ずと言っていいくらいに毎日のようにやっている。それもお笑い番組的な内容が多く、一方的な見方で放映している。もう少し多角的に検証するうと面白い番組なると思うのだが・・

TVに出て来る症例は、症状的な結果は大病なのだが、あたかも結果原因説で症状が原因のごとく取り上げられている。やはり結果は結果ととらえるべきだろう。結果には必ず原因がある。そこをついて欲しいところだが・・・歯がゆい感じもする。

前置きが長くなったが、最近の症状は結果を見ているが原因をみていない。みていないと言うより現代医学の苦手とする心理的な影響との関係を棚に上げている。せいぜいストレスと自律神経の関係やホルモンの関係程度で濁している。

ストレスと症状の関係を臨床的にみた最近の症例からみてみる。

症例

小学3年生 女子

症状
両側の大腿四頭筋痛、膝痛、下腿三頭筋痛が1週間前よりはっしょうする。お母さんは様子を見ながら、そのうち良くなると思っていたがなかなか改善せず、日を追うごとに痛みが強くなってきていた。
特に朝の起床時から学校に行き、学校での生活中はロボットのように膝を曲げずに歩いている。学校が終わって帰宅するころには通常の歩行ができるようになる。
来院時の症状は歩行痛、屈伸痛、屈伸不能、ロボット様歩行、仰臥位での他動的、自動的の膝屈伸ができない。圧痛顕著。

治療はハード面の治療は行わない。仰臥位で伸張反射でストレスチェック。出てきたストレスは卒業式の練習で思い椅子を毎日体育館に運んでいくことで嫌気があった。

治療は特別なことはせず、かわいい女こと学校の話を10分くらいしただけである。症状はその場で改善し、膝関節の屈伸運動も歩行も通常歩行になりかいぜんした。


ここで強調したいのは、ストレスとの関係がわかってもどのストレスが緊張を強いているかを見つけなければならい。ストレスの影響、学校でのストレスが影響していることは問診していけばわかる。学校の何がストレスか突き詰める事が必要である。

ただし、原因を追い込んで患者さんに負担をかけるの避けたほうがいいようなきがする。また、そのストレスの良し悪しを判断せず、患者さん自ら選択するように導くといい結果がでる。患者さんは自ら治す力を持っていることを信じて、自ら改善できる能力を持っていることも忘れてはならない。

まして、治してやる、術者が治す、このテクニックがいいんだ・・などとは思うことは改めたのほうがいいような気がする。患者さん自ら治す働きを手助けすることに尽きる。特に脳への刺激は強烈で、自らの意識的な思考、潜在的な志向は、何よりの薬になる。

読者の方はAMやPCRTを治療に使っている方が大きと思うが、治療技術もアートだが検査で何が原因かを見極めるのもアートである。さらに、手技だけがアートでもない。患者さんとの問診や治療中の会話からも色々な事がわかる。

その会話の中でヒントを得て、思考を刺激することもアートである。適切ないい刺激が自らの脳を活性化せて治癒に導いてくれる。コーチングのスキルを心身医療に導入していくことはこれからのストレス社会において、われわれ臨床家にとって大きな変化を与えてくれることは間違いないだろう。


拳骨

2012年2月29日水曜日

身体との会話111・・・第43回AMI公認AM東京セミナー

先日、AMI公認AM東京セミナーがあった。沢山の先生方に受講して頂いた。なかには遠方より参加された先生方も居た。資格も柔整やカイロ学位保持者と様々だが学ぶものは同じだ。提供する内容はAMI本部の指導どおりの内容である。

スライド、リサーチの内容はAMI本部からのものと全く同じである。受講される先生方はそれぞれテーマを持って受講しているはずである。大方は、テクニックに関する事がテーマになると思う。臨床の根幹部分は技術になるから技術を少しでも向上させるために参加することに間違いはない。

セミナーにはAMリサーチもある。内容は素晴らしい内容である。Dr.Fuhrの哲学や研究が盛りだくさん組まれている。リサーチはデーターすなわち事実である。この事実を見逃して勝手に想像したり、思い込んでいるといつの間にかどこかでボタンの掛け違いして、指摘されるまで気付かない。

事実をしっかり把握していない人ほど思い込みや勝手なイメージが強く自分なりのルールを頑なに守ろうとする。自分のルールもこのような思い込みやイメージで作るものであり、そのルールに他の物をみる物差しにするために、ルールに入らないことには違和感を感じる。

更に、この違和感をルールに当てはめて白黒あるいは合否、優劣といった明確な線引きをして、自分のルールはどちらかに入らないうと安心できず、どちらかに収めたくなる。そんな場合は自分をどちらかに入れるかは大方は同じである。

また、その優劣を周りの環境、すなわち周りの目を見ながらどちらかに置きたくなる。数の論理的に多い方に自分を置きたがる。一般化された情報や流行りに乗り遅れないように多くの人が集まる方に見を置きたがる。そうすることで安心が生じほっとする。人並みと感じるときである。

この時に生じる安心感は、一歩間違うと秩序を乱すことになる。例えば信号が赤はストップであるが、みんなで渡れば怖くないなどと漫才の世界と同じである。100人中90人が赤で渡れば、それが常識になってしまうことだってありうる。極端なことを言うと99人が赤で渡っていて、自分一人だけ青で渡れるかということである。

物事の良し悪しをつけたがる心理はここにある。優劣をはっきりさせ優の方に身を置きたいのは当然であるが、優劣を決めなければだめとなると、良い人悪い人が出てきて、義務や権利が混同してやたらと権利を主張する傾向になる。義務と権利は依存か自立にもかかわってくる。

日本には義務教育という制度がある。良い悪いは別として「教育は義務で受ける」ものか「自主的に学ぶ」ものか・・学校教育とは何かを得るために基礎的な教育を受ける機関でもある。セミナーは主に卒後教育であり、義務教育ではない。

ただし、自主的であってもある種のセミナーは認定更新という義務を課せられている。言語上「認定更新の義務」である。よって義務で参加される受講生のほとんどが義務感で受講するために学ぶ姿勢が自ずと違って、自主性も薄れ依存する事が強くなる。

依存傾向が強くなると、責任の所在も違ってくる。責任所在が相手になる。「義務=依存=相手が責任」の図式が見えてくる。セミナーに参加される受講生が全てというわけではないが、学ぶ姿勢はあるが自主性が隠れてしまっている。

教えてもらわなければ、わたしはそんなこと学びに来ているのでは無い、手とり足取り教えてほしい・・依存である。この依存は結果が出ないとその責任を教えた側に責任を求める傾向に有る。教えてもらったとおりにやったら失敗した治らない、結果がでない・・自分を通り超えて教えた側に求める。

依存的か自主的かで学びを浅いものになるか深いものになるかが決まる。我々のやっている臨床は机上の上の学問のように答えがあるわけでなく、答えが無い、答えようが無いナゾを説いているので優劣もなければ良し悪しも無い。どちらか一方を決めるのでもない。

自分で気づきの中でこんな考えもある、あんな考えもある・・選択をするのは受講生の皆さんである。そんなこところに気付いて頂ければ、自分を臨床家として伸ばすためのハードルが超える事ができると思う。


拳骨

2012年2月23日木曜日

身体との会話・・・拳骨日記: 身体との会話110・・・ICC国際コ-チング3

身体との会話・・・拳骨日記: 身体との会話110・・・ICC国際コ-チング3: ICC国際コーチングのモジュール2を受講した。「インナーゲーム」はご存知の方は多いと思う。本では読んで面白い本だった。だが実際に自分で体験してみるもっと面白い。どんなことを体験したかと言うと、後ろのバケツに丸めた紙を後ろ向きで放り投げてバケツに入れる。 ただ投げても何遍かやっ...

2012年2月20日月曜日

身体との会話110・・・ICC国際コ-チング3

ICC国際コーチングのモジュール2を受講した。「インナーゲーム」はご存知の方は多いと思う。本では読んで面白い本だった。だが実際に自分で体験してみるもっと面白い。どんなことを体験したかと言うと、後ろのバケツに丸めた紙を後ろ向きで放り投げてバケツに入れる。

ただ投げても何遍かやっていれば入るだろうが、ここは入る入らないを競うことではなく、コーチ役から「現状」という情報を聞き入れた、その現状を修正しながら次の戦略をイメージする。そのイメージに身体をあずけて後ろのバケツに放り込むことを繰り返し入るまで入れる。

この時に意識と無意識の問答が始まるが、いかに無意識に体を預ける事ができるかで身体を無意識に置くことができる。「無の境地」とでもいいのか投げる体感覚がリラックスできて非常に気持ちが良い。

ここで大切なのは何か? スポーツ経験者なら一度は経験したことがあると思う。プレッシャーで緊張して身体が動かない。試合前になると緊張して身体が動かない。このときの身体は相反神経が崩れて反射システムが機能しない状態、すなわち「共縮」が起きている。この恐縮は意識が働きすぎると反射機能が働かなくなる神経生理学的な現象が起きている。

意識と無意識をインナーゲームではセルフ1とセルフ2で表現している。無意識をもう一人の自分ということである。日頃から色々なことを考えているのことで、意識が無意識に問いかけているのだが、普通は気が付かない方が多い。

現在はどうか分からないが、小生が学生時代はスポーツのコーチや指導者は、フォームや技術的な動きを事細かに指導していた。この時、選手はイメージすることより理屈でこの動きはこうだといったように頭に一生懸命叩きこむ。あくまでもフォームの矯正とか動きの再確認みたいなことをする。しかし、これだと時間がかったり、改善できない事が多いようだ。

インナーゲームは最初投げ入れた紙クズが外れた場合に、コーチが現状だけを情報として提供してくれる。クライアントはその情報を元に、位置修正したり、修正した軌道をイメージしてバケツに入るイメージをして、バケツに入れるための戦略を再構築する。

この時のイメージはクライアントの直感的な感性が入ってくる。この直感的な感覚は無意識である。セルフ2が感覚的なイメージを作ってくれる。クライアントによってこのイメージは様々なイメージができるが正解はない。

あるクライアントは投げ方をイメージしながらこの角度でこの方向に、力はこのくらいなどとイメージする人もいる。他のクライアントはバケツに入る軌道をから入った瞬間まで、更に入ったときの感動や喜びも感覚的にイメージしている人もいる。

このイメージをどこにイメージするかで軌道修正の方向性が変わってくる。当然結果も変わってくる。イメージが全体像をしっかり捉えて紙くずの軌道、そして入る瞬間、入ったときの音、入ったときの喜び、更にコーチと一緒に喜んで歓声を上げている・・ここまでイメージすると目的達成が現実化するし、プロセスゴールの価値を高める。

方や、軌道修正するために腕をこの角度で、これだけの力で、距離は◯◯センチ、右方向に50センチなどと事細かにイメージすると意識が優先して本来のSelf2働きかけることが出来ず、意識だけの身体行動になって、共縮現象がおきて腕のふりが固まって、更に緊張がコントロールを悪くすることになる。

本来のSelf1とSelf2との問答で、意識より無意識を優先して身体行動を行う事が、動物的な本能行動、つまり自然な動き、スムーズな動きになる。ゴルフや野球でイップスと言われる現象はこの意識と無意識との葛藤であり、意識優先の行動が起こさせている現象とだろう。

Self1の意識的な思考を計画し目標を設定して、Self2に問いかけて無意識の本能的なものを信頼して行動に移す事が自然体で有り無欲の境地に誘うことになるだろう。


拳骨

2012年2月1日水曜日

身体との会話109・・・AM福岡セミナー1 イエローカード

2,012年の第一回のAMI公認セミナーが福岡で開催された。昨年より多くの先生方が受講してくださった。ありがとうございます。さて、今回も小言で始まる。ANJが主催するAMI公認セミナーの受講資格は広い。これには異論がある方もいるだろうが日本の代替医療の独特の形態があるので、それを考慮した上でのことと理解していただきたい。

今回のセミナーで42回になった。認定者も増えてきて喜ばしいことだが、認定を取得することがこのセミナーの目的ではなく、また、取得する先生方が認定書を額縁に入れて飾っておくものでもない。認定書を患者さんの利益になるように活かさなければならない。

どうやって活かす? 額縁に入れて待合室に飾っておいてもホコリをかぶって掃除が大変なだけだ。認定書を取得して誰が利益になる? 考えたことがる方はいるかな? 多くの先生方は自己満足で終わっているだろう。それもありかもしれない。

認定を取得している方は、もう一度振り返ってみてほしい。認定取得する際は、テキストを何度も読んだり、実技での下肢長検査を繰り返して一生懸命勉強したはずだ。また、臨床でも丁寧に繰り替えして身に付けたはずだ。その時の熱いものが認定を取得した瞬間にどこかに行っていまう。もう一度、勉強したときの気持をさがしてほしい。

受講生は、国内の医療資格やカイロ学位を持っている。いずれも基礎医学の教育は受けている。更に身体を触ることもできる。それぞれ基礎教育の受講時間に差はあるかもしれないが、臨床において大切なのは経験である。この経験も時間が関係するので一様に比べることはできないが、臨床経験を積んでいく再に、治療かという立場の人間がどの位置にいるかよく考えれば時間を多少に関わらず、質の高い経験ができる。

先日のセミナーもそうだが、最近のセミナーを見て感じたことは、資格や認定に胡座をかいている方が目立つ。セミナーに出て質問もしない。疑問もわかない。普段の臨床で疑問があったり、解らないことがあれば質問したり、疑問を晴らしたり、アドバイスを求めたり、他の先生の治療を盗み取ったりと貪欲になるはずだ。小生などいまだに臨床で悩んだり、わからないことが多い。

質問がでないということは、全て理解して臨床も完璧にこなしているということか? そんなことはありえない。是非セミナーに参加したときは質問したほうがいい。また、我々も質問を受けることで学ばさせてもらえる。わからないことは勉強する。

技術的なことでも同じである。知らず知らずのうちに癖がつき、なかにはLODやCPさえ間違っている認定者もいる。間違いに気付いていない。一年に一度の認定維持だけで受講している先生方に多い。一年に一度という事は、間違いを一年間は間違いに気づかないということである。

更に、追い打ちをかけるように認定更新で受講されている先生は、全てわかっているガのごとく、もう学ぶものはないと積極的に学ぶ意欲がなくただ単に二日も黙って参加している。そんな認定者の実技をチェックするとLODは間違っているは、CPは的外れで、おいおいホントかよ・・と、自分の目を疑いたくなる。このような先生はイエローカードである。次回はレッドカードにならぬよう気を引きしてほしい。

当然のごとく、初めて間もない先生や、認定者でも豆に受講している先生は質問、疑問をもち常に上を目指している。この気持をいつまでも持ち続けてほしい。AM臨床家としての向上心や患者さん目線の立ち位置をもう一度さがしてほしい。決して、失ってはいないはずである。もう一度、飾ってある認定書の入った額縁を外して裏をのぞいてみてほしい。忘れたものは入っている。

拳骨

2012年1月24日火曜日

身体との会話108・・・ICCコーチング2

臨床的に患者さんから色々なアドバイスを求められることが多い。生活習慣の改善方、リハビリ的な運動法、予防的な運動方法など。このあたりのアドバイスは答えがある程度明確になっているものは、白黒はっきりと適切に答えることができる。・・・が、しかし全ての患者さんに適切であるか?

また、施術者はこの求めに正確に答えなければと色々な知識を習得する。ある先生は専門的に、ある先生は浅知恵の一般論まで様々である。専門性を持って知識を得ることはいいことだが偏って見ることこともある。偏った知識が果たして適切なアドバイスになるか? 

腰痛患者さんの例をあげてみる。「先生、腰痛は運動不足ですかね? 筋力が弱いんですかね? 腰痛にいい運動は? ストレッチはどうやったらいいんですか? 教えて下さい」こんなアドバイスを求められたら、さてみなさんはなんて答えますか。臨床ではよくあることで、みなさんも経験していることだろう。

さて、このアドバイスを求める患者さんから何かが読み取れる? ただ単に、患者さんの求めるアドバイスの答えを用意して適切に応じるだけでは、患者さんの腰痛改善を助けるアドバイスはできないだろう。まず患者さんが潜在的に何を求めているか知ることが必要だろう。

この患者さんが潜在的に何を求めているかが読めると、自ずと答えも変わってくる。よって、適切なアドバイスも出来る。患者さんが潜在的に何を求めているかがわからず、機械的に運動はいい、腹筋運動は腰痛予防に効果がある。何回やりなさい。何時間歩きなさい・・

多分言っている施術家の方も何の根拠もなく言っている。テレビや雑誌で言っていることをそのままオウム返しに行っている。なかにはお笑い番組の受け売りで言っている。根拠のない「一般論」だ。100歩譲って、正しいことであっても必ずしも患者さんに適切かというと必ずしもそうではない。個別性を無視しているアドバイスである。

アドバイス=助言・・助言≠答え・・あくまで助言であり答えではない。患者さんの求めている答えは白黒はっきりした、1+1=2 と言うような答えである。この答えが正しい場合(この場合は患者さんに合っている)には、この先生はいい先生、合っていない場合は頭をかしげる先生である。更に、合っていない場合の責任をその答えを出した先生に転換する。

助言者は答えを出さずに、幾つかの選択肢を提供し、選ぶのはあくまでも患者さんであり、答えを出すのも患者さんである。臨床に於いても、患者さんは「治療すれば治るのは当たり前」と思っていて、治ることを前提にして来院する。オフィスでの施術者の言動には全て施術者に責任が発生することを頭においておくべきセある。


拳骨

2012年1月11日水曜日

身体との会話107・・・ICC国際コ-チング1

身体との会話において大切なのは、患者さんが何を望んでいるかを見ぬくことである。患者さんが希望するは何か? これを見誤るとボタンの掛け違いで消化不良を起こしてしまう。後味が悪くてどうもすっきりしない。患者さんも同じである。

このことは治療に限ったことではない。スポーツ世界でも同じである。もちろん日常生活、家族関係、職場の上司と部下の関係も同じである。お互い対峙する関係でお互いのルールやイメージするものが一致しないと共に歩んでいくことに平行してサポートすることができない。

治療家が一番陥りやすいのはテクニックに患者さんを収めようとすることである。テクニックや治療家のルールに当てはめてその中で何とかしようとすると、そのテクニックやルールに当てはまるとドラマチックに改善したり、お互いに感動して「いい先生」「素直な患者」で万事ハッピーである。

かと言って、ルール無し、患者さんの言うがままの何でもありの基本がぶれてばかりでも治療家としてのアイデンティティ-がなくなってしまう。では、経営的にみるとこちらの形態もあってよしと考えることもできる。

スポーツでコーチと選手の関係はどうかみて見よう。小生の経験から見ると、現在の日本のスポーツ界は今だコーチ主体の見方が強く残っている。テクニックの修正、メンタルもコーチが主導権を握っている。コーチのルールで判断して、そのルールを選手に当てはめている。

なかには選手が求める答えを惜しげもなく、簡単に与えている。この関係は、当初は「親切な良いコーチだな」「わからないことはなんでも答えてくれる」・・選手とのコーチとのラポールの構築にはいい関係になる。逆のことを考えてみよう。

いつも答えを貰えることが当たり前になると、答えがもらえないとコーツに対して不信感や違和感を覚える。また、答えをもらってうまくいく行かないと、答えを出したコーチがに責任の所在を求める。更に、答えをもらうことによって依存度がまして、自立志向が低下する。特に勝負の世界では依存度が増してくるとは敗因の一つでもある。

患者さんと施術家にとっても同じである。治療家にとって患者さんから依存されること信頼されることが区別できない方がいる。患者さんが治療家に依存しているにもかかわらず、あたかも信頼を寄せているかのごとく勘違いをして、同情したり、同調したりすることが気づかないうちに行なっている。

そうなると、症状の改善がうまく行かなくなると、患者さんは改善しない責任を治療家に求める。これでは責任の押しけで患者さんが自立傾向で自ら目標に向かって歩むことができなくなる。府のサイクルから抜け出すことが出来ず、Drショピングやお医者さんのはしごである。経営的に見るといいことなのかもしれない。

では、この現象を経営的にみるのか・・ あるいは、患者さんの本質的な問題解決するという患者さんの目線でみるのか・・・どう思いますか? 患者さんは何を求めてくるか、選手は何を求めているか・・見ぬくことが必要である。

拳骨