2012年4月26日木曜日

身体との会話115・・・ICC国際コーチング養成講座5



ICC国際コーチング養成講座はとりあえず終わった。コーチング養成講座を受けてから何が変化が出たか?これほどまでに価値観の変化や思考のクセに気づいたことはない。大げさかもしれないが人生感の居心地が良くなった。

小生の一番苦手とする人との関わり。その苦手なもので商売しているのだからお笑いものである。それ故手技療法という特殊な世界で技術を売り物にすることだから、勤め人の営業とはチョット違うので、人付き合いができない小生でもできるだろうと思いつつ30年が過ぎた。

手技療法ということで手技療法もいろいろなテクニックセミナー出て結構学んで、身につけた。技術屋と言うのは面白いもので、技術が身につくと結果が出る。そのことで治療が面白くなる。いつの間にか医療という世界観から機械的な技術になっていた。時には他の先生より上手くなろう、なんでも治せる。そんな思いまで芽吹いてきた。

技術が上達すればするほど治療は面白くなり、毎日の臨床が楽しい。結果も伴い手技療法の素晴らしいさや、これまでに人間のやることがいい結果が出るのか、自分でも驚くほどのものであった。なんで治るかななど正直解らないが、あるいはわかっていても推測の域ををでない。

自然治癒力、自然治癒力とわけのわからんことを唱えて、結果オーライであれば満足していた。この治ることに患者さん自身の「思考」が関与している事がわかった。わかったと言うより、実感した。更に、メディカルDrや生物学の賢威のある先生方の本にも同様のことが書かれている。

この実感できたという例は臨床において多々ある。小学生のオスグッドで動けないのが話を聞いてやることで歩けるようになったり、難治なしもやけもストレスを解放するだけで治ったりと・・この結果は、治療技術というよりかん自らの思考による「治し」であると実感できる。

ここまで来ると治療の面白さが倍増し、なんでも来い!みたいな臨床になる・・・が、しかし、時に患者さんと対していると治療は面白いのだが、なんとなく違和感があったり相性が合わなかったりと居心地が良くない時がある。結果が出るのでそのままであるがそのような患者さんを治療した後は疲れる。

「好きな仕事は長続きする」よく言われる。面白いから好きなのか、好きだから面白いのか・・何れにしても長続きする条件の一つになるだろうが、必ずしもそうとは言えないのも事実である。最近、自分がコーチングを受けて気づいたことは、患者さんと一緒にいて「居心地」はどうなのか?

「居心地」など考えたこともない。「居心地」などは考えることより感じることだ・・感覚で受け止めていたので考えることなど全く浮かばない。トレーナーの質問で、おや?っと思った。実際の臨床を振り返り、治療中の自分を客観的にみたら、治療中の顔がこわばり、一生懸命、ありとあらゆる技術で直している自分が見えた。

自分がこんなに緊張していたら患者さんも緊張している事が見えた。この緊張感がお互いの居心地を悪くしている事に気づいた。「居心地」など考えても見なかったが、あらためて見つめ直したら大切な事があらためて気づいた。

「居心地」の悪さは気づかないうちに、患者さんが合わない、結果が出ないと患者さんの原因にある・・など原因を相手に求めたりするようになる。「居心地」の悪さは作っているのは自己にあることに気づく大切である。

「居心地」の大切さは理解できたが、さて「居心地」を良くするにはどうしたものか?これも大きな課題である。一口にこれだ!と言い切れるものは現在のところ見つかっていない。複雑なエネルギーの波長が合わないのだろう。これを合わせる事が「居心地」を良くすることだろうと思う。

この「居心地」の改善度を評価することで、どれくらい「居心地』が改善したか確認することも大切である。その確認をどうして行うか?これもまた難しい。感覚で捉えることも重要だが、どれくらい改善したかを客観的に確認できることでゴールに向かって進んでいるか過程状況がわかる。

機会があったらセミナーなどで施術前後の評価に取り入れてみたい。


拳骨


2012年4月17日火曜日

身体との会話114・・・ICC国際コーチング養成講座4



昨日はICC国際コーチング養成講座の最終講座で筆記試験があった。できは??後は7月までに2症例の報告とセフルコーチングの提出で合否が決まる。試験はさておき、今回の講座でコーチングの奥深さを学ぶとともに人間の無限大の可能性に驚きを感じた。

コーチングの勉強のためにいろいろな本をみつけて読んでいた。コーチングやNLPのマニュアル本は沢山出ているので内容に関してはどれも遜色ない。コーチングは人と人の関係性に成り立ている。そこで「関係性」に関わる本を物色していて、ある本が目についた。

「思考のすごい力」ブルース・リプトン著・・この本はコーチングに役立つことを目的にさがしていたら、不思議な導きでPCRTのエネルギー治療に参考にもなる。やはり、コーチングやPCRTは関係性で心身の変化が生まれのかとつくづく感じた。

この本の著者は細胞生物学博士(ヴァージニア大学)で、ウィスコンシン大学医学部などで教鞭をとったのち、スタンフォード大学にて、細胞膜に関する画期的な研究に従事。遺伝子は単なる生物の設計図にすぎず、意識や環境が細胞をコントロールし、遺伝子のふるまいを変えることを明らかにし、エピジェネティクスという新しい分野の先生である。

内容は、「細胞をコントロールしているのは、細胞核ではなく、環境である」と言っている。そして、50~70兆個の細胞のコミュニティーである人間をコントロールしているのも環境であると。人間にとっての環境とは、勿論、居住環境、職場環境といったものもあるが、自分の認識すること、自分の考えていること、つまり、自分の信念が私たちをコントロールしている。

その自分の信念、すなわち、自分が何を信じているかにより、環境から受け取る信号が変わり、その信号が私たちをコントロールしているらしい。

コーチングを学んでいる時にこの本を読んで印象に残った一節を紹介する。

「人間というものは、間違った”信念”にありったけの情熱を注ぎ込み、不屈の頑張りで執着し続けるものだ。人一倍合理的に頭が働くはずの科学者だって同じだ。私たちに、これほど強い信じる力があるのは、脳を中心とするよく発達した神経系を持っている身体。

一つの細胞は、環境に対してかなり反射的に、単純な反応をする。一方、人間は複雑な神経系で環境を感知するので、環境に対する反応はずっと複雑だ。人間の心は単独で、環境のとらえ方も単純ではなく、環境をどのように知覚するかを自分で選ぶことができる。つまり、”信念”は変えることができ、信念を変えれば人生を変えられるのだ。」


人は変化する・・・性格は変わらない、変えられない、生まれつきだ・・遺伝子に操られていると持っていたものが実は単なる環境や周りの情報が自己の信念に頑なに守られて、その信念をその人の個性を生み出すエネルギーにしていたようである。

信念は環境、生活習慣、経験などが潜在意識に落とし込まれて自己を守るためのルールを作り、そのルールは本人の足かせになり身動きが取れず窮屈は人生を歩んでいる。しかし、その信念も変えることができるとこが証明されている。

実際にコーチングを受けることで自己を制限している信念を見つめなおし、その背景に何がるのか気づくだけで、頑なに持っていた足かせとなっていた信念が外れる。コーチングはクライエントに自ら考え、気づかせることである。

メディカルモデルの患者さんがDrに解決策を求める依存系ではない。あくまでも自立系の解決さを自ら選択することによって大きな気づきができる。この気づきで信念が外れる。人間は変わることがでる。変わった人間は無限の可能性を持っていることに気づく。

PCRTも生命の無限の可能性に気づきを得て、自ら生命体に変化を促すことで、細胞レベルでの変なが恒常性を正常にさせ健康へと導くと考えることができる。コーチングも思考的なレベルで生命の変化を促し、心のありように変化を求めて自らの可能性を引き出す。





拳骨


2012年4月3日火曜日

身体との会話113・・・ 心身件反射療法研究会

本年度の心身条件反射療法(PCRT)Basic1の研究会が行われた。多くの受講生が参加して熱気に包まれて充実した内容で出来た。常に進化して来ているPCRTも当初から比べたらだいぶ削ぎ落とされてシンプルになった感がある。

初めて受講される先生は「あれでシンプル?」と頭をかしげるかもしれないがシンプルになっている。更に、ハード面とソフト面を混同しないようにBasicとAdvanceに分けて講義を進めていくのも混乱が無くアンる。

先ずはハード面をしっかり押さえ、それからソフト面・・この使い分けができると臨床にも幅が出て患者さんの多様化したニーズに答えられる。昨日の研究会で行われた実技で気になったのはPCRTは「エネルギー治療」といことを忘れて機械的に見ていることである。

エネルギーというように視覚化できないものを評価するわけだから機械的に見ても先に進まない。ハード面をメディカルモデルのように見てしまうと、既存の西洋医学の概念と同じで、生命体をエネギーにより生かされれている「生命」を否定するようなものである。

ロボットの時代がきて、人間の各臓器が人工的になってきた時にお世話になる。その頃の西洋医学は電気屋さんか機械やさんがお医者さんに取って代わっているかも知れない。それまで生きていわけでもないか。

さて、受講生の実技を見ていると出来る人と出来ない人がいる。この差は? 経験もあるがやはり人間を生命体としてエネルギーで営んでいる事を忘れていることに尽きる。何度も言うように機械では無いので、数値化するのは難しい。

可視化して、数値化して・・このデータを評価して治療につなげることができればいいが難しいことである。PCRTは神経反射を評価すので、更に難しくなる。この神経反射を感覚で感じることが必須である。

AMも同じで下肢長検査も長さだけで判断するより、筋のトーン・・すなわち神経の緊張を見てい事が上達の早道だ。PCRTはAM同様に神経の反応をみて、同様に振動刺激を加えるものであるために構造的や機械的に見てしまうとしらずしらずに気がついたら患部の痛みを追いかけて、構造有りきの治療に陥りやすい。

生命体を機械でみるか、エネルギーでみるかこの違いが上達の違いに表れる。医療の基礎教育は西洋医学であるために、当たり前のように人間を機械的に診ることになる。確かに人間の身体を見えいく上では解剖や生理学など基礎がしっかり身についていないとできないのは当たりまであるので基礎医学は重要である。

人間を機械的に見て、患部を切り取ったり、症状を悪化させないように薬治で行う専門家は西洋医学が得意とする分野で、我々が西洋医学的に患者さんを診ても事が進むわけがない。西洋医学の得意とする専門分野に代替医療が西洋医学的な見方で立ち入ることは必要ない。西洋医学の専門家に任せるべきである。

PCRTの臨床は神経反射を診て、どのように患部との関わりがあるか原因をエネルギ^-的(異常なエネルギーブロック)にみて、以上は波長を正常にすることであり、それ以上のことは必要ない。このエネルギーは身体内部は勿論、外界のエネルギーも関係してくる。

磁力、光、水、土・・食べ物,飲みも・・思考、人、・・全てがエネルギーになるもので、このエネルギーは情報(周波数)として五感を通して身体に関わってくる。その情報のか変わりが合わないとエネルギーの周波数合わなくなり身体内の神経エネルギーの乱れが起き不健康になる。

このことがしっかり頭に入ってないと、患部のみを意識して機械的にみて、そこを何とかしようとしてしまい迷路に入り込んでしまうと先に進まなくなる。目先のことにとらわれず身体を「生命エネルギー」としてみることがPCRTの上達法である。


拳骨