2013年12月26日木曜日

「骨折とPCRT」身体との会話・・・133

感染症



感染症で一番心配なのは骨髄に侵入することで、生命の危機が出てくることだろう。術後は毎日抗生物質の点滴を行なったり、縫合した傷跡を消毒する処置を行う。骨折の治療ではこの感染症と骨折接合部の再転移が問題になる。

再手術を勧められたが術後2週間では化骨の発生も出ていないし、内固定の金属を外してギプスで外固定では骨転移位の可能性もあるし、なんといっても骨折部位の動揺で痛みが出るのが我慢ならぬ。

手術以外の手は・・再入院して抗生物質の点滴を一日2回のやって様子見ましょうだったが、これも断った。再入院では仕事再開の準備ができなくなってしまう。そこで、一日2回の通院では・・と提案をした。提案を受け入れてくれたのでそれから毎日1週間点滴を受けに行った。

4,5日しても変化がなくいよいよ再手術を考えたが、翌日の保井DCに遠隔で診察を受けて金属の反発(一般的に言うとアレルギー)と意欲感情で反応が出ていた。幸いに金属の画像があったので転写して金属の自己治療と感情解放をした。

翌日はウソのように腫れが引き赤みが引いて象の足が大根ぐらいになった。微熱も下がり痛みも軽減した。しばらく自己治療を続けていくとやっと人間らしい足になってきた。

生命を機械的に考えるとそんな馬鹿な・・と、思うだろうが生命はエネルギーであるからエネルギー治療でも自然治癒力は高まる。骨折して転移(骨と骨が離れている)のは手術で接がなければならない。特に小生みたいな粉砕骨折と言って骨片が沢山ある骨折は観血的にして金属で骨片をつなぎ合わせる必要がある。

ここまでは機械的な治療になる。後はいかに早く化骨が形成されて骨癒合は速やかに行われるかは人間の生命力、すなわち自然治癒力である。その生命力は個人差があるが、基本的には全ての生命力は病気やケガなどの損傷を治すことが出来る仕組みになっている。

しかし、中には自然治癒力を妨げる因子がある。病気を抑制する免疫などはストレスなどで減少したり、逆に促進させる因子が増えたりする。その因子をみつけて外部から化学物質の投与でやっつけることが現代医学である。

一方、その因子を内側からやっつける働きを助けるように仕向けるのが有機的な治療法である。生命の危機にさらされ一時を争うときには、外的に対処する必要があるだろう。ケースバイケースで使い分けが出来ると良さそうだ。

今回は、術後は抗生物質の副作用が酷く、足部の皮膚が水疱ができて痒さが増して辛い思いをした。これは、現代医学的な検査では副作用とはわからないだろう。看護師さんに「これ、水虫?」と聞かれて(-_-;)・・・抗生物質の投与をやめたら水疱やかぶれが治った。

金属アレルギーは経絡と転写画像でしばらく自己治療を続けている。現在も継続している。感情は研究会などでチェックしていただき、自己治療で開放している。骨折や感染症、アレルギーは手術、薬物の投与など現代医学ののみの分野であることが一般的であるが、エネルギー治療で早期回復は化膿である。ただし、患者が信用して任せることができれば話しである。
術後2週間後の炎症が酷い腓骨患部
軽度の微熱があり血液検査でもCPRの数値が
5以上。この後、暫く続く
金属アレルギーの治療後に腫れ(浮腫)が引いた非骨患部
左の下腿下部と足背部の腫れが引いている状態







2013年11月29日金曜日

「骨折とPCRT」身体との会話・・・132


2週間の入院


余談になるが、ヘルニアで手術をする方がいますが、ヘルニアの手術と腰痛は関係ないというMDもいます。では、手術後に腰痛が改善するのは手術の効果ではないのか? 実際、手術後に腰痛が改善されます。

ある診療整形外科というMDがブログでこんな事を書いています。手術の際の全身麻酔は全身の筋肉を瞬間的に弛緩させるので痛みは軽減できる。手術は一種の儀式みたいなものだ。このことをためすいいチャンスです。

小生も日頃から軽度の腰痛と肩凝りがある。術後の麻酔から覚めて腰や肩が非常に軽くなった。ほんと軽い。こんな軽いのは初めての経験である。やはり、ますの影響は筋肉を緩める効果は大きいようだ。

さて、4時間の手術は成功し、術後の計画が提示された。2週間の入院で2週間後に抜糸をして、しばらく通院して経過を観察する。入院2日目から超音波をかけて化骨発生を促す治療と縫合した部位の消毒が入院期間続く。

ここで一番やっかいなことは手術した部位の骨転移と感染症である。特に感染症にはDrも気を使うらしい。ほぼ毎日抗生物質の点滴を行う。骨折の転移はまずないと言ってよい。それだけ固定術は強固らしい。

術後は日によって違うが夕方になると微熱が出て患部にうずくような痛みが出た。腫脹と発赤が引かず感染症の疑いが出てきたが抗生物質の点滴をすることで落ち着いているので様子見である。手術の翌日から足関節の拘縮を防ぐために底屈、背屈運動を隙を見てやっていた。

そのかいあって足関節の拘縮はない。4,5日すると車椅子での行動ができ、トイレが自力で行けるようになり、動くことで体力も回復してきた。同時に寝ているのが退屈で困った。1週間後は外出許可をもらい午後に3時間位外出してオフィスで患者さんへの休診のお詫びの手紙を発行し、診療再開の準備を進めていた。

1周間が過ぎると理学療法が始まり、PTによる物療とマッサージを行う。はっきりってマッサージや可動域改善などの技術は小生の方が・・・しかし、一生懸命やってくれるので嬉しい。そうこうしているうちに2週間が過ぎて抜糸のをして退院である。ここまで順調である。

退院して次の診察まで1週間である。その間はのんびり家で静養する予定であったが、やはり患者さんやセミナーが気になってどうしようもなく、診療再開のためにがさがさ動いていた。動きすぎたせいか再び夕方になると微熱が出るようになった。

抗生物質の飲み薬を飲んでいたが殆ど聞かない状態が続いた。痛みと腫れが酷く、発赤も顕著に出て僅かな振動でも痛みが増幅した。退院して1週間後の診察で感染症を起こしていると診断されて一瞬ドキッととした。
さて、感染症の処置はどうするのかDrの説明を聞いた。「当院でこのような感染症のときは再手術をして固定している金属を抜き取ります。固定金属の裏側に菌が増殖して骨髄に入り込むのが一番危険な状態ですので、それを防ぐために金属を除去する手術をしましょう。」

この説明を聞いて、目の前が真っ暗になった。慌てて、他の選択肢がないのか聞いた・・・続く


手術後5日後の患部

2013年11月12日火曜日

「骨折とPCRT」身体との会話・・・131

手術


休日のため担当のDrが不在で連絡していただいて至急駆けつけてくれた。地方の私立の医療のありがたみだろう。大きな総合病院ではこうは行かない。自冶体運営の総合病院であったり、大学病院では杓子定規で運営されているので痒い所に手がとどくようなわけにはいかない。

担当医が来るまでどのくらいの時間がかかったのだろうか?やけに長く感じた。受傷から4時間くらい過ぎたかもしれない。担当医がきて、画像を見ながら丁寧な説明があった。

「脛骨と腓骨が複数に折れています。複数骨折と言います。治療は、手術をして金属の板をビスで止めて折れた骨を固定します。小さい折れた骨も多いので、これをビスで止めるときに折れやすいので時間がかかると思います。結構、酷い骨折ですね。でも、当病院では比較的症例の多いケースです。」

説明を聞きながら頭の中では半年はだめだなと諦めていた。30年前のほねつぎの時代にはこれくらいの骨折も保存的(手術をしないで)に外固定で保存治療をしていたこともあった。やはり、外固定だけでは固定力が不十分で変形治癒や関節拘縮が起こり治療期間も長くかかった時代もあった。

手術日が火曜日と金曜日と決まっているようで、受傷日が月曜日だったので、翌日の最後の手術に決まった。それまで牽引処置が取られる。脛骨と腓骨の療法が折れているので下肢が筋肉の緊張で短縮していまう。そうすると痛みが増強する。

更に痛みで緊張し更に痛みの連鎖がおきてたまらない痛みが出る。牽引することで痛みが和らぐために骨折した下肢を牽引する処置である。どのようにするか?踵(踵骨)の両横をドリルで穴を開けて鐙みたいなフックを引っ掛けて10キロ位のオモリをぶら下げてベッドに寝ている。

この時のドリルで踵に穴を開ける時の痛みは悲鳴をあげるほどであった。麻酔はするが殆んど効いていない状態である。二度とやりたくないと思った。その状態で翌日の手術の順番が来るまで寝ているのだが、牽引したくらいで骨折部位の不安定は解消される小さな振動や身体の緊張で筋収縮が起きると痛みが出て、とても眠れるような状態では無かった。

翌日、いよいよ手術である。約3、40分前に筋弛緩の注射を打って筋肉の力が抜けるようにする。これは痛みによる筋肉の緊張がとれて眠くなり痛みも軽減した。なんでもっと早くしてくれなかったのか・・恨めしくも思った。

手術室に運ばれて全身麻酔である。ここまでは覚えているが・・・手術は約4時間かかった。目が覚めるのは麻酔をかけてから5,6時間くらい後である。手術は2枚のチタン合金のプレートで脛骨、と腓骨を22本のビスで固定する手術である。

麻酔から目が覚めると担当のDrが手術の経過を説明にきてくれた。手術は無事成功したということであったが何をいっているか理解できなかった。術後の画像をみて関節面がきれいなことと、骨片の位置関係が綺麗に揃っていることがはっきりと確認できたことで、説明を効くことより安心した。ホッとした瞬間から再び眠りについた。
手術は成功したがこれから金属の反発と心理的な反発で予後に影響をあたえることになってくる。・・・続く



手術直後の画像

2013年11月6日水曜日

「骨折とPCRT2」身体との会話・・・130

画像検査



救急処置室に運ばれて医療スタッフの作業はたんたんとした作業で、ベルトコンベアーに乗った製作品みたいな扱いだった。有無を言わさず患部を露出させ、消毒をして画像検査に運び検査を進める。

看護師さんやレントゲン技師は慣れた手つきで患者を扱うが、激痛の上、あまりにもぞんざいな扱いをするので痛みを通り越して思わず怒鳴ってしまった。「もう少し丁寧に扱ってくれ(-_-;)」・・これには看護師さんもビックリしていた。

ほねつぎでもあり、修行時代は骨折の扱いは細心の注意で痛みが出ないように扱うことを指導され、そのコツも受け継いでいる。どうしても、比べてしまう。この扱い方は入院中にも注文をつけた。

とにかく痛い。痛みをこらえるために全身の筋肉に無意識に力が入る。更に筋緊張のため痛みが増幅し、必死にタオルを食いしばってウ~、ウ~・・唸っていた。レントゲン室への移動も振動で患部へ響いて痛い。

レントゲンの単純撮影とCTをとるということであったが「なんでCTまでとるんだ!」また胸部をとるといったので「オレは骨接ぎだ骨折や内蔵損傷ぐらい自分の身体は自分で分かる・・」などと文句をいっていた。(冷静に考えれば医療サイドの見逃しを避ける必須の検査である。)

単純撮影は確か6方向で方向を変えるたびに激痛が走り、技師さんの言葉にも腹が立った。「動くと取れないからじっとしていて・・だめだよ動いちゃ!」動くとだめなら動かないように支えるような工夫をすればいいのだが・・

動きたくて動くわけではなく勝手に足関節が反対を向いて自身でコントロール出来ない。そんなことが技師さんにはわからないのかな・・・脛骨と腓骨が折れていれば動かすことなどできないだろうに(-_-;)

なんとかレントゲンを撮り終えた後が大騒ぎである。若い先生がレントゲンを見ながら「これは骨折していますね。」・・そんなのレントゲンを見なくても分かるよ・・と言いたくなるが我慢して素直に頷き若いDrの顔色を伺いながら聞いていた。

余計なこと言って患部をやたら必要以上に触れるのが恐怖だった。(-_-;)ここは素直に効くことだな・・説明を聞いていると誤作動のスイッチを作っている言葉が頻繁にいっている。「これは酷い骨折だな。粉々に折れているよ。酷いな。半年はかかるだろう。骨折が治っても少し引きずって歩くようになることもあるね・・」

このようなDr本位の言葉を投げ変えていると患者さんは誤作動のスイッチを作っていまう。まさに暗示と言っていい。外部からの情報を脳で思い込みや信念に作り替えてしまう危険性が起きる。PCRTの臨床ではよく見られることである。

このような信念やお見込みは慢性的な疾患や治りを遅くして厄介な症状をつくりだす。医療現場の処置や説明には十分配慮が必要だ。現在も「こりゃ酷い骨折だ!」この言葉は時々思い出す。実際、この言葉を聞いた時には半年は仕事ができないな・・諦めの心境であった。

骨折による患側の下肢は約5から7センチは短縮していた。この状態を放置しておくと神経や血管を損傷しやすく2次障害が起きやすい。更に痛みが増幅してしまう。処置としてはすぐに手術をするのが一番だが、休日で手術ができない。

23日(月)の休診日で整形外科処置ができるDrがいなかったので至急連絡して戻ってきてもらい翌日の手術までベッドで寝て下肢の牽引をして短縮した下肢を戻す牽引療法をすることになったがその間の1時間くらいの時間が長く感じた。・・・続く


受傷時のCT

2013年11月1日金曜日

「骨折とPCRT1」身体との会話・・・129 

唇を噛み締めて・・吉田拓郎
ブログ記事とは全く関係ありません


久しぶりの更新です。仕事の忙しさやプライベートでケガをしたりといろいろなことがあった。。特にバイクで転倒して右足の骨折で手術をして2週間の入院は堪えた。

転倒して右足が動かず足首が膝と反対の方に向いていた時には「やっちまった~(-_-;)・・・」と、後悔とも思える感情が湧きでた。その時にまず脳裏に浮かんだのが、次の日曜日のセミナーのことだった。

九州や関西の遠方からの受講生の顔が浮かんだ。その次に患者さんの顔が浮かんだ。月曜日から予約をしている患者さんのキャンセルのやりくりをどうしたらいいか・・・

体のことより仕事やセミナーの人間関係が先に浮かんだ。冷静に考えたら救急車を呼ぶことが専決だった。救急車を呼ぶために119に電話をした。2,3回やってもつながらない。携帯が壊れたか・・電波が届かないのか・・焦った。

転倒した場所は道のない山中で地図に載っていない場所で救急車が入ってこれない場所で、住所や目印になるものもない、もちろん人などまず入ってこない場所である。救急車を呼べないとどうなるのか・・・この段階で足が疼きだして来た。・・汗

119を何度かかけたが連絡が取れない。5,6回目に119と繋がった。つながらないのは焦って1119番をかけていた。1が一つ余計だった。場所を聞かれてもわからないので答えようがない。携帯の凄いところはGPSである。通話中に位置確認が出来る。

20分くらいしてまわりで救急車のサイレンの音が聞こえるが、場所の特定ができず、ウロウロしている救急車が恨めしくなった。40分から50分くらいで救急隊員が歩いて登ってきて顔を見たときは思わず気が抜け「助かった!」と心で叫んだ。

その瞬間、足に激痛が走りだした。隊員が応急手当をするのだが触るだけで激痛が走り手が付けられず簡易の固定装具を持ってきたがそれだけでは、動かせるだけの固定ができず、思わず「その辺の木端を添え木にして固定してくれ」と言って隊員の方に注文をいってしまった。

山道といっても生活道路でもなく、単なる地元の林業や管理するための作業道路みたいな道で、幅は150センチ位の道である。もちろん救急車などは入れない。さて、こんな急な下り坂の道を簡易の担架でゆらゆら運ばれたら痛くて堪ったもんじゃいと心で泣いていた。

どうやって運ぼうか駐在所のお巡りさんと救急隊員でしばらくやりとりしていたら、なんとミニパトがタイヤを空転させながら上がってきた。幅がギリギリでドアが空かない。後ろのハッチバックを開けて何とか担架のまま乗ることができた。

救急隊員をはじめ地元の駐在所のお巡りさんには随分と注文を付けて運び方はこうしろ、ああしろとうるさく言ったにもかかわらず親切に対応して頂き涙が出た。

救急車で病院に運ばれている時に担架に付き添ってくれた隊員の方の優しさは安心と心強さを感じこの人に身を任せれば大丈夫だ・・・そんな風に感じた。治療院に訪れる患者さんもあのような安心感を術者から得られたら最高だろう。

事故現場から病院までは20キロくらいだろう。時間は覚えていないが長く感じた。確か40分くらいだろう。交差点や道の段差を通過するときに振動がやけに足に堪えた。病院につくまではタオルを口に加えて痛みを堪えていた。

病院につくと休日のため整形外科のDrが外出していて他のDrが見てくれたがなんとも心もとない感じだった。処置をする前に靴をとズボンを脱ぐことで一苦労だった。痛みに負けてズボンを切って靴も切ってくれといったが靴(アウトドア用の分厚い)をきるような道具は無いと・・・涙

この段階で2ヶ月はだめだなと諦めたが・・・・続く













2013年2月20日水曜日

体罰2・・・身体との会話198


前回の続きになるが、臨床の現場においてもスポーツ選手の問題は身体の障害だけにとどまらず、障害の背景には指導者と選手の人間関係が関与していることもある。先日こんな選手が見えた。

少年野球の選手で、指導者から「走り方のフォームがおかしいから走れないんだろ。だからレギュラーで使えない。」と言われて、お父さんがなんとかなフォームを直してくれと来院した。お父さんの目から見ては実際にはそんなに早い、遅いの差はないようだ。

野球の走力はベースランといって、ベースを回る際にベースを踏む位置や走る際のライン取りがベースランの早い遅いにかかわってくる。よって、同じ50M走で同タイムでもベースランのコースライン取りの違いで差が出る。

このコースラインの取り方は指導者が教えるべきであるが、少年野球の指導者がどれほど知っているか疑問である。欲を言えば打球の方向、野手の動きでもベースランは変わってくる。そこまで予測して走るのがベースランである。

指導者は自分の理想であるフォームを持っている。バッティングフォーム、ランニングフォーム、投球フォームと、そのフォームが同じ選手は気に入られる。フォームが違うと変えられることがある。能力の高い選手はあまり変えられることはないが、ほとんどの選手が変えられる。

投球フォームなどは最たるものである。フォームを変えることができないと何かとレギュラー入りも難しくなる。指導者からみて素直じゃないとなる。そうなると体罰ではないが試合に出場することはもちろん練習も同じことをさせてもらえない。

これマアだけでなく、プロも少なからずある。オリンピック選手にあっても同様である。日本のスポーツ界の土壌がそういうものであることは事実である。

学校の部活は選手が試合に出るか出ないかは大きな違いがある。それは、選手以上に父兄が思っていることがある。選手は補欠でも裏方でも学びがあり、部活を通して人間形成は見事に成長する、。

高校野球など見ていると、それ以上に父兄の気持ちの入れ方は半端じゃない。よって、指導者から嫌われたらベンチ入りなどありえない。少しくらいの体罰など目をつぶるのが現状である。指導に関して父兄が口をはさむのはいっさい厳禁なところもある。

最近のアマのスポーツ競技は全国大会になるとTV放映するので、学校経営者も良い宣伝になる。マラソンや野球といった長時間にわたって全国区で放映されるのは名が売れる。経営者もスポーツに力を入れるために、越境して選手を集め特待制度で優秀な選手を集める。

全国に出ることによって指導者は優秀な指導者として崇め奉られて、多少のことは目をつむってまで指導を行わせる。当然、指導法などに経営者は口などはさめなくなる。それが習慣化すると体罰などは罪の意識などなくなり、当たり前のことになる。





2013年2月16日土曜日

体罰1・・・身体との会話197


久しぶりの更新です。

最近、体罰が話題である。犠牲者が出て初めて公になり、物議を呼んでいる。日本のスポーツ界において、特に競技スポーツを行っていた方は一度や二度は経験があるだろう。小生の身近な指導者にも人目をはばかることなく叩いている方がいる。

以前はチームにかかわっていたので、練習の現場に出かけて行ってみていたが、やはりいろいろな指導者がいる。理論家、実践型、カリスマ型・・・それぞれ個性があり、試合でもそこそこ結果を出している。

ここでは体罰を良いか、悪いかという議論ではなく体罰の背景的なものを考えてみたい。日本のスポーツが一般化されたのは戦後であり、東京オリンピックで弾みがつき老若男女が健康を目的に広がったようである。

それまでは「スポーツ」といった言葉自体が普及しておらず「体育」といった、身体を動かして心身の育成が目的であったようだ。特に日本では心身の鍛練には武道が奨励されていて、ボールなどの球技などはごく一部の人たちが行っていた。

武道とスポーツは根本的に違うのでそこを理解しなで混同していると、おかしな解釈でひとくくりにしてしまうといいとか、悪いとかになってしまう。まず、武道は楽しみなどないもので、礼節から入っていくものである。

柔道、剣道、空手道・・相手を敬う礼節、所作、忍耐、命の尊さなどを学ぶためのものであり、ある程度の厳しさや、我慢強さを身につけるためにある。スポーツは礼節より楽しみから入れる。キャッチボール、サッカーなどは小さなお子さんとお父さんやお母さんが広場で手軽にできる。

まずは楽しみ、親子のコミニュケーションからできるのがスポーツである。武道とスポーツの大きな違いはここにある。真冬の外で、素足で寒稽古など欧米人からみたら信じられないだろう。今でこそ武道をやっている欧米人はときどきニュースに出るが。

スポーツは室内体育館で冷暖房が利いたところでできる。環境までも武道とスポーツは違う。その武道をオリンピックに取り入れ用と苦労されたのが柔道の生みの親である「加納治五郎」である。その夢がかなって東京オリンピックで初めて柔道が種目入りした。

その日本の柔道界で指導者が体罰で選手の謀反をひるがえすような感情的な展開になってしまたた。日本のお家芸の柔道で勝てないとプレッシャーはすごいものを感じるだろう。身近に感じた例が私学の高校野球の監督など典型的な例である。

勝利主義の高校野球で数年甲子園に出場ができないと首のすげ替えなど当たり前の世界である。勝てば官軍で教職員の席順まで勝ち組と負け組では上座、下座にわかれる。中には胃潰瘍など身体的障害を起こしたり、転職する指導者も出てくる。

よく言われる言葉に「楽しんでやれ」という言葉があるが、いろいろな解釈ができるだろうが、武道においても厳しさや投げられた痛さからは到底楽しみなどわきあがってこない。スポーツにおいても競技スポーツの色が濃くなればなるほど練習のつらさや、疲労感で楽しみなど縁遠い。

試合で勝って初めて練習の辛さや、きつさが忘れられるというものである。試合で勝利するのは一人か一チームしかないので多くの人が涙をのむのが現実である。その多くの人は負けても、その過程においての辛さを糧にすることも学びである。・・続く